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ホーム旅行記>01.中国前編(アジア旅行2001-2002)

01.中国前編

3.安徽の未開放地区 <2001年4月10日〜4月14日:杭州→黄山→I県>

<杭州>黄山I県

「上有天堂、下有蘇杭」という言葉があるほど杭州は美しいところである、と中国に渡る蘇州号で出会った中国人留学生が教えてくれた。 大阪から上海までは船で2晩かかる。運悪く海は時化ており、船内はまっすぐ歩くのも大変なほど揺れが激しかった。 その激しい揺れの中、ロビーのソファーでその留学生から僕は中国語のレッスンを受けていた。その話の流れの中で、 この杭州の町の名が出てきたのだ。特にその杭州の中でも「西湖」と呼ばれる湖の風景は素晴らしいとも教えてくれた。 その彼の言葉に導かれて、僕は杭州に行ってみることにした。

周庄→蘇州のバスチケット 周庄→蘇州のバスチケット

周庄から杭州へ向かう直通のバスはないようだった。一度来た道を引き返すことになるが、 一旦蘇州に戻り、蘇州から杭州に向かうことにした。

蘇州と杭州はともに大きな町であるので、それを結ぶ路線はどうやら混み合う路線であるようだった。 出発10分くらい前になると、乗り込み口の前に行列が出来、我先にと割り込み合戦が繰り広げられるのは、 いつもの中国の光景である。バスの出発は10時20分。バスは満員であった。

約5時間で杭州に到着。しかし小さい町に向かうのと違い、大きな町ではどこで降りればいいのか、ということが問題になってくる。 バスターミナル(汽車駅:中国ではバスのことを「汽車」といい、列車のことを「火車」という)が一つであればいいが、 大きな町にはたいがい複数のバスターミナルが町の周囲に点在しているようだった。ここ杭州でも事情は同じで、 一旦町の中心部に入ったバスは、そこからさらに走り続け、どんどん中心部からはずれていってしまう。 結局バスは最後に町の中心から遠く離れた北バスターミナルに止まった。やれやれ、最初から中国のバスをうまく乗りこなすというのは なかなか難しいようである。北バスターミナルからは市バスを使って町の中心部に向かった。

杭州では60元/天(900円/日)の普通房(中国ではシャワー・トイレ共同の部屋を「普通」房という)の単人房(シングルのこと)に泊まった。 部屋はシングルとはいえど相当に広く、ベッドも大きかった。テレビもついており、しかもカラーだ。居心地はかなり良さそうである。 晩飯を食べに外へ出かけようと思ったとき、フロントの服務員のおばさんに呼び止められた。 宿の電話番号と住所の書かれた紙切れを僕に渡してくれる。もし分からなくなったら、ここに電話するんだよ、 というようなことを言って笑いかけてくれた。このようなちょっとした心遣いがとてもうれしく感じられる。 かつては無愛想で有名だった中国人民だが、今日では一概にそうはいえないようである。

緑豊かな運河の風景と近代的な高層ビル群 緑豊かな運河の風景と近代的な高層ビル群

この旅行のために、日本から中古の一眼レフカメラを持ってきていた。中古だったせいか、旅もまだ始まったばかりだというのに、 早くも動きにやや不安定なところが出始めた。撮りたいところで写真が撮れないなんていう事態はどうしても避けたい。 そう思った僕は、この杭州でサブのカメラとして、コンパクトカメラを一台購入することにした。大きなデパートのカメラコーナーで、 オリンパスのμUというカメラを買うことにした。やや値は張ったが、以前雑誌「旅行人」の写真特集の号で、 このカメラが取り上げられていたのを憶えていたのだ。小さくて、なかなか使いやすそうである。 一生に一度しかないかも知れない旅を記録するカメラだ、出来ればケチりたくなかった。

杭州2日目はあいにくの曇り空だった。はじめは霞んで対岸も見えないほどだったが、やがて少し天気が持ち直してきて、 青空ものぞくようになった。霞んではいても、確かに西湖は美しかった。特に西湖から西の方を見た風景が美しいと感じた。 緑多いやわらかな湖岸の風景の中に、いかにも中国らしい、黒い瓦屋根の建物が溶け込むようにたたずんでいた。

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杭州<黄山>I県

部屋に差し込む明かりで、今日はどうやら久しぶりの晴天であることが分かった。ここのところずっと曇りや雨などの、 すっきりしない天気が続いていたのだ。今日は杭州から黄山へ移動する予定である。黄山は杭州の南西、安徽省にある。 日中いっぱいは移動にかかるだろう。

バスの時間は朝9時50分。余裕を持って8時過ぎに宿を出た。黄山行きのバスは西バスターミナルから出る。泊まっていた宿からは、 バスを2つ乗り継いで行けるはずであった。しかし僕の持っていた杭州の地図は2000年度のもので、現行のものよりも古い地図であったらしい。 バス路線に若干の変更があったらしく、乗り継ぐべきバス停を間違えてしまったのだ。

しかし、早めに出てきたため、まだまだ時間に余裕はあったので、僕はのんきに肉まんを食べることにした。 中国ではとびきり美味しい肉まんが、わずか5角(=0.5元、つまり7.5円)で手に入る。朝飯によくこの肉まんを食べていた。 が、しかし、これがいけなかった。中国の町を路線バスで移動すると、考えている以上に時間がかかってしまう。 これは自動車の多さだけではなく、中国人の交通マナーの悪さも大いに関係しているのだが、急いでいるときに限って、 運悪く大渋滞に出会ったりする。遅々として進まないバスの中で、イライラしながら腕時計で時間を確かめる。 バスの出発時間が刻一刻と迫ってくる。しかし西バスターミナルはまだ先だ。もうどう考えても間に合わない。 後はバスの出発時間が遅れてくれることを祈るだけである。

9時57分、ようやく西バスターミナルに到着。わずかに7分の遅れだ、もしかしたらまだバスは出発していないかも知れない、 と思ったがこんな時に限って、律儀にもバスは定刻通り出発してしまったようだ。ああ、あそこで肉まんなど食べていなければ。

先日すでにこの便のチケットを購入してしまっていたので、次の便に振り替えてもらえるかと思い、 バスターミナルの服務員にバスに乗り遅れたことを申し出ると、「来るのが遅い、もうバスは出発してしまった!」 (こんな感じのことをしゃべっているのは、相手の身振り・手振りで大体分かる。)と怒りながらも、 なにやらテキパキと対応に走ってくれた。激しい口調で無線に向かって何かしゃべっている。バスと交信しているのだ。 服務員は「ついてこい」と手招きし、僕をバスターミナルの外に連れ出した。果たして数分後にバスは僕一人のために戻ってきてくれた。 乗客も誰一人文句を言うことなく僕を迎えてくれる。「中国人ていいやつじゃないか」本気でそう思った。

どっしりとした徽派民居の玄関 どっしりとした徽派民居の玄関

黄山へ向かう道中、美しい並木道が僕の目を楽しませてくれた。平坦な田んぼの風景の中に、すっと1本きれいな並木道がのびている。 日本でも畦木と言って、田んぼなどの畦に並木状に木を植えることがあるが、ちょうどそんな感じだ。風景と道のつくりと、 木の植え方が絶妙のバランスを構成している。なぜか木は根元から1mほど白く塗られているが、これがまた明るい陽光の下では、 いっそう爽やかに、美しく並木を引き立たてる役目を果たしていた。

杭州から黄山へ向かう行程の半分は浙江省、半分は安徽省であったが、どこからか風景の中に、 本で見た安徽省独特の民家が見られるようになってきた。「徽派民居」と呼ばれるその民家の外観は、 壁と屋根のとりあいが特徴的ですぐにそれと分かる。屋根を挟み込むように、屋根よりも高く立ち上がった壁は、 日本で言えば「うだつ」(屋根の上に突き出た防火用の壁。徳島県の脇町などが有名)を思い出させる。 どこか険しい印象を与えるその壁は徽派民居を住居というよりは、小さな要塞の様にも見せる。

地方を走るバスでの旅の最大の魅力は、村と村を結ぶ昔からの道を通ることにあると僕は思う。途中、 何度も立ち寄りたいような村々を通過し、そこに生活する人々の様子を垣間見ながらバスは次第に山がちになる風景の中を、 黄山に向けて突っ走った。

黄山の風景黄山の風景

黄山は世界遺産に指定されている、中国でも有数の風景区である。奇松・怪石・雲海で有名なこの雄大な自然公園は、 中国を代表する観光地でもある。中国人は旅行が大好きである。中国の観光地は曜日を問わず、 常に中国人観光客で混み合っており、黄山も例にもれず、すごい人出であった。わずか8分行程のロープウェイに乗るのに、 なんと2時間半もかかってしまった。列車と同じく、ロープウェイに乗り込む列でも押し合いへし合いのバトルが繰り広げられていた。

黄山に来る客の大半はツアー客のようであり、赤や黄、青、白といったカラフルな帽子がその目印となっていて、 色ごとにどの団体か分かるようになっている。帽子にはツアーを主催する旅行会社の名前が縫い込まれており、 それをかぶる中国人達の顔はどこか誇らしげであるのがおかしかった。

黄山のチケット(80元:1200円) 黄山のチケット(80元:1200円)

黄山の最高峰は蓮花峰1864m。さほど高くないとはいえ、普段平坦な道しか歩いていない、なまくらな足には少々きついものがある。 あまりの人の多さにうんざりしてはいたが、時にはっと息を飲むほど美しい風景が眼前にあらわれると、やはり目を奪われてしまう。 帰りは足がガクガクであったが、歩いて宿まで戻った。


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杭州黄山<I県>

黄山→I県までのバス(西遞で下車) 黄山→I県までのバス(西遞で下車)

朝9:30、黄山からI県(「黒」に「多」と書いて「イ」と読むようなので、I県と表記しました。)行きのバスに乗り込む。 宿の人が宿の前でバスを止めてくれたので、荷物を持って歩かずにすんだ。乗り込んだバスはボロボロのおんぼろバスだった。 だいたい中国の地方を走るバスは、このようなおんぼろバスと相場は決まっている。僕が訪れたことのあるアジアの国々では、 どこでも、よくこんなボロボロのバスが、平気で走り回っているものだと驚かされる。メーターはもちろん動かないし、 電気系統はほとんど壊れているんじゃないだろうか。とにかくよくゆれる。もちろん道が悪いのがその原因だが、 車の状態の悪さも大いにその揺れの激しさに関係しているように思う。

バスチケット バスチケット

I県周辺では前述した安徽省独特の民家である「徽派民居」で有名な村がいくつもあるようである。 情報は黄山で購入した黄山周辺の地図で入手した。宿の人に聞いてみると、ちゃんと宿もあるという。

バスがI県手前の西遞村に着いたとき、運転手がここだと言って僕を降ろしてくれた。宿の人が僕が古い民家を見たがっている ということを運転手に伝えてくれていたからだ。見るからに古びた味わいのある村だ。外から見ただけでもよく分かる。 はやる気持ちを抑えてまずは宿に落ち着くことにする。目の前にあった宿に値段を聞いてみるが、どうも様子がおかしい。 宿のお姉さんは僕が中国人ではなく、外国人であることを確認すると、僕のメモ帳に「不対外開放」と書き込んだ。 つまりこの村は外国人未開放地区に入っているというのである。(外国人が未開放地区に立ち入りたいときは、 その地区の「旅行許可証」というものが必要となってくる。旅行許可証は最寄りの公安で取得できることが多い。)

黄山のすぐ近くにあるので、まさか未開放だとは思ってみなかった。黄山の宿の人もそんなことは何も言わずに、 気持ちよく送り出してくれたのに。他の宿にもあたってみたがやはりだめであった。見るだけではどうかと思ったが、 やはり見るだけではなく泊まりたかったので、僕は一旦このあたりの中心地である屯溪に戻り、そこで旅行許可証を取ることにした。

屯溪へ戻る途中、I県のバスターミナルで屯溪行きのバスを探してると、待合室に座っていた一人の男が声をかけてきた。 「屯溪行きのバスを探している」というと、親切にバスまで連れていってくれた。発車を待つあいだ、その男(H氏)と筆談をまじえて話をした。 最初H氏は僕のことを中国人だと思っていたようで、日本人だと分かると驚いていた。話が古民居のことになり、 西遞村での事情を説明した。今から屯溪へ旅行許可証を取りに行くところなのだと言うと、H氏は自信満々の様子で「不要、不要!」 (プーヤオ:いらない)と言う。そしてH氏は僕にI県の近くの宏村という村に行こうと誘いをかけてきた。いい所だぞ、とも言っていた。

この時、僕はまだH氏のことを8割がた怪しい男だと思っていた。しかし、 時にはこういう成り行きに身を任せてみるのもまた旅かもしれないと思い、発車寸前のバスからH氏とともに飛び降りた。

H氏はI県のバスターミナル横のホテルの経理をしている。もらった名刺にそう書いてあった。 そのホテルの前からタクシーに乗り、2人で宏村に向かった。宏村には彼の妹もいるという。あまりにも自信満々なので、 もしかしたら西遞村と違い宏村は外国人に開放されているのかもしれないと少し希望的に考えるようになっていた。

宏村に着くとH氏は、こそこそと僕のメモ帳に何やら書いている。何だろうと思っていると、そこにはこのように書かれていた。 「*現在也是中国人(お前は今から中国人だ)」(*はニーハオのニーで「あなた」という意味)  おまけに「何もしゃべるな」と口に手を当てる。何だ、やっぱり駄目なんじゃないか。むっとして、 引き返そうかなとも思ったが、連れて行かれた宿も泊まれそうな雰囲気だったので、ふっ切れて宏村観光を楽しむことにした。

池を取り囲む宏村の町並み 池を取り囲む宏村の町並み

徽派古民居の町並みがそっくり残る宏村はすばらしく美しかった。水が豊かで、町中いたる所に小さな水路が流れている。 家の脇に水路を利用した小さな水車が残っていたり、水路から住宅内部に水を引き込み、小さな庭池を作っているところも見られた。 村の中心には扇形をした人工の池があり、その周りをぐるっと民家が取り囲んでいる。その池にはくすんだ色の古い民家の外観が そっくり映り込み、見た瞬間、はっと息をのむほど美しかった。

壁が迫る村の中の路地 壁が迫る村の中の路地

細い路地に面して2層分の壁をそそり立つように設けた住居が多く、開口部が少なくて歴史を刻み込んだように くすんだ灰色をしたその壁の連続する様は、訪れる人を圧倒する。外に対して閉鎖的な分、中は「天井」と呼ばれる 光庭によって光を取り込んでいる。光庭といっても広いものではないので、光庭から上を見るとまるで井戸の底にいるようにも感じられる。 だから「天井」と呼ばれるのだろうか。 

インチキして訪れているので、堂々と写真を撮ることも出来ず、もっぱら中国人のツアーグループの後ろにくっついて回ったので、 かなり行動が制限されてしまった。中国人の振りをして、聞き取れもしない中国語の説明を、まるで分かっているかのように、 ふんふんとうなずいているのは楽しいが、やはり落ち着かない。

途中H氏は、宏村にある彼のおじさんの家に僕を連れていってくれた。お茶を頂きながら、しばし休息する。 この家の近くでスケッチをする寧波大学の女子大生2人に出会い、みんなで筆談をまじえながらおしゃべりを楽しんだ。 大学生の彼女たちは、中国人にしては珍しく、ほんのわずかながら英語をしゃべることが出来た。恥ずかしがりながら、 必死に頭の中で英単語を探し、文章を組み立てようとしている様子がおかしかった。彼女たちもインターネットでチャットをするのが趣味らしく、 僕にチャット上でのハンドルネームを教えてくれた。後で試してみたが、どうにもやりかたがよく分からなかったので結局断念してしまった。

「天井」と呼ばれる明かりとり 「天井」と呼ばれる明かりとり

このインチキガイドのH氏は、僕のことを何度も「朋友」と言ってくれて、確かにそう思っているらしき様子だっだ。 村に一軒あったインターネット屋に僕を連れて行ってくれた時も、秘密のはずなのに、H氏はひそひそと周りの人に、 「内緒なんだけど、実は彼は日本人なんだ。」と実にうれしそうに話していた。

この時点までH氏は僕に対して「お前は俺の朋友だから俺が払う」とばかりに、すべての費用を持ってくれていて、 もしかしたらこのH氏は本当にいい奴なんじゃないか、と少し思うようになっていた。しかし夕方頃になると、 彼はお金の話を持ち出してきた。予想していたことだが、やはり少しがっかりした。

宿の前でスケッチしていると、H氏がやって来て、この宿には泊まれないと言ってきた。 僕が外国人であることがばれたようだ。ばれたのが僕のスケッチのせいなのか、 H氏がまた調子に乗って僕の事を日本人だと宿の人にしゃべってしまったせいなのか、さだかではないが、 とにかく僕は宏村の宿に泊まることは出来なくなってしまった。

宏村に泊まれないなら屯溪まで行こうかと考えたが、屯溪行きのバスはもうないという。 もう日も暮れそうだ。H氏は「私の家に行こう」と誘ってきた。他に手もないので彼に任せることにした。

車をつかまえるのに散々苦労し、彼の家にたどり着いた頃にはすっかり夜も更けていた。家には彼の両親らしき、 おじさんとおばさんがいた。これで何とか今夜寝る場所にはありつけるかと思ったのだが、どうも様子がおかしい。 H氏の言葉に対し両親の表情は険しい。情けない顔で首を横に振りながら出て来たH氏とともに、僕達は暗闇の中、 重いバッグをかついでとぼとぼと歩き出した。あてもなく、さまよい歩いているのだろうかと少し不安になってきた頃、 ようやく開けた通りに出てきた。どうやらここは見覚えのあるI県のバスターミナル付近のようだ。H氏の交渉で、 僕はバスターミナルの隣の宿に何とか泊まれる事になった。H氏は僕の「安全」のためと言って、 10人部屋の多人房(ドミトリー)を僕一人にあてがった。

最後にお金の話が残っていた。  今日のことがすべて、彼が親切でやってくれていることなら、僕は自分からいくらかのお金をお礼として彼に渡していただろう。 が、彼はちゃんとお金を要求する個人ガイドのようなものだったのだ。要求する額に見合わない、お粗末なガイドに腹が立ったが、 最初からきちんと交渉しなかった自分の責任でもあるので、300元(4500円)と彼が言うところを200元(3000円) までまけさせて支払うことにした。これには宿代、食事代、交通費、インターネット代など今日の出費分すべてが含まれる。

別れ際、H氏は「朋友よ!」と言って僕を抱きしめ、最後に僕の手の甲に軽く口付けをし、大きく手を振りながら去って行った。  疲れた、、、実に疲れた一日だった。


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