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ホーム旅行記>01.中国前編(アジア旅行2001-2002)

01.中国前編

8.少数民族を訪ねて2 <2001年5月2日〜5月10日:凱里→西江>

<凱里>西江

三江から从江へ向かうバスの車窓は山また山、ひたすらの山道であった。同じ山の風景でも、 心なしかこれまでの山の風景よりも荒々しく見える。民家の屋根も瓦ではなく、木の皮を使って葺いたものが目立ってきた。 貴州省は中国でも最も貧しいエリアの一つであるらしく、何となくそれを実感させるものがあるように感じた。

三江→从江のバスチケット 三江→从江のバスチケット

三江からは針路を西にとり、貴州省の凱里へ向かうことにしたが、三江から凱里までの直通バスはないようだった。 三江は広西壮族自治区と貴州省の省境のすぐ近くに位置する。しかし同自治区内の大きな都市への長距離バスは出ていたが、 貴州省方面には省境付近の从江という町までしかバスの便はなかった。省をまたいでの長距離には弱いのだろう。 方向的にはこの从江でいいはずなので、とりあえず僕は、その从江という町まで行ってみることにした。 行けばまたそこで乗り継ぐべきバスが見つかるだろうと思った。

果てしなく続く悪路を、約4、5時間走ると从江に到着した。地図で見る限りそれほど時間がかかるようには思えなかったが、 それだけ山道を行くのには時間がかかるということなのだろう。从江もまた三江と同じく、小さな町であるようだった。 町の大きさにそぐわない、やたらとだだっ広いバスターミナル。しかし、止まっているバスはわずかに2〜3台だけだった。 バスターミナルのチケット売場で聞いてみると、ここから凱里までバスは出ているという。だが今日の便はすでに出てしまっていた。 そのかわり榕江という町まで行けば、凱里までのバスがあるはずだということを教えてくれた。

今日はすでに程陽から三江、三江から从江へとバスを乗り継いできている。ここからさらに榕江、凱里へと乗り継いでいくので、 ハードな移動になりそうだった。三江から从江への移動に思いのほか時間がかかったことを考えると、 この先の移動もかなり時間がかかるものと思っておいた方がいい。もう昼食の時間を過ぎていたので、 この从江で榕江行きのバスを待つ間に何かお腹に入れておこう、と思った瞬間に榕江行きのバスがバスターミナルにやってきた。 停車時間もあまりなく、すぐにも出発しそうな感じだったので、僕は何も食べずにバスに乗り込む羽目になってしまった。

乗ったバスはオンボロの中型バスである。こういうバスはある程度客が集まるまで、ひたすら町の中をぐるぐるまわるばっかりで、 なかなか出発してくれないことがよくある。今日も同じ場所を何度もまわり、結局町を出るのに30分ほどもかかってしまった。 途中でバスの屋根の上から水を補給する。多分ラジエーター(冷却装置)に水を入れているのだと思うが、水の入れ方が何とも大雑把で、 ただ水の出ているホースの先を屋根から飛び出している細い筒に突っ込むだけである。とても日本では考えられない、 その荒っぽい車の扱いを見ていると、まるで巨大な動物にエサをやっているような感じだった。中国ではこのような水の補給を 「加水」というらしく、どんなに人気のない山道でも、この「加水屋」はちらほら見ることが出来た。

从江から榕江までは、またも山また山の悪路の連続だった。整備中なのか、それともすでに整備された後なのか、 よくわからない砂利敷きの道路をバスは容赦なく突っ走る。時々、頭上の棚に頭をぶつけそうなぐらい(決して誇張ではない!) 飛び跳ねながらも、相変わらず車窓から見える棚田や集落の風景に見とれていた。田植えの時期であるらしく、 田んぼの中にはたくさんの人が、人の手で苗を植えている姿が見られる。バスの中や道端では、ごく普通に民族衣装を着た人達が、 普通に歩いている。子供達の腰には、自分の腕の長さほどもありそうな刃物がぶら下がっている。 このバスの行程はそのままテレビのドキュメンタリーになりそうだなと思った。

途中、他方面からのバスの乗り継ぎ客を待つ間、空腹を少しでも紛らわそうと、はじめてひまわりの種を買ってみた。 何もない山の中のただの分岐点だったが、どこからともなく民族衣装を着たおばさん達がひまわりやその他のおつまみなどを手にあらわれたのだ。 ぎこちない手つきでひまわりの殻を割り、中から実を取り出す。どうやっても中国人のようにスムーズにポリポリとは食べれそうになかったが、 その実は香ばしくておいしかった。しかし、一旦バスが走りはじめると、揺れが激しく、ひまわりなどとても食べられる状況ではなく なってしまった。

从江→榕江のバスチケット 从江→榕江のバスチケット

从江から榕江までは、三江から从江までの半分程度の距離だが、実際にはひどいくねくね道と、でこぼこの悪路のため、 4時間ほどかかってようやく榕江に到着した。榕江に到着するや、バスの運転手が目の前のバスを指さし、 「あれが凱里行きのバスだ」と教えてくれた。どうやら寝台バスのようだ。寝台バスははじめてだったが、 朝からずっと座りっぱなしだったので、たぶん楽でよいだろうと思い、かなり疲れてはいたがふらふらと吸い寄せられるように そのバスに乗り込んだ。が、しかし、これが悪夢の始まりであった。

整備された高速道路などを、この寝台バスで行くのなら多分大丈夫なのだろうが、貴州省の山道の悪路をこのバスで行くのは、 並大抵のことではなかった。

僕の寝台は一番後ろのちょうど真ん中だった。一人分のスペースは限りなく狭い。しかしその狭いスペースに、 隣の親子連れが、母親1人と子供2人で2人分のチケットしか買っていなかったため、子供がずりずりと僕のほうにはみ出してくる。 はみ出て当然というような態度の、クソにくたらしい顔をした隣のガキんちょとの熾烈な場所取り合戦にも、 かなりのパワーを費やすこととなった。横になった状態で、体全体を揺すられると、とにかく胃のあたりがてきめんにやられるらしく、 とても気分が悪くなってしまった。

凱里までは結構距離があったので、てっきり朝方に到着するのかと思っていると、なんと真夜中の1時半頃に到着してしまった。 気分は最高に悪いし、おまけにこんな時間だ。一体どうしたらいいねん、と絶望的な気分でバスターミナルのベンチに座り込んだ。 いっそのこと、このままこのベンチで夜を明かそうかと思ったが、座っていてもますます気分は悪くなるばかりなので、 これはまずいと思い、気力を振り絞って立ち上がり、とにかく宿を探すべく町に出てみることにした。

バスターミナルの中は真っ暗だったが、表は意外に明るく、バスを待つ客相手の屋台が出ていた。そして、そこには招待所まであった。 泊まれるかどうかは分からないが、念のため聞いてみる。しばらく待ったが答えはNOだった。 しかしこの近くの別のホテルなら泊まれるはずだというので、フロントのお姉さんにそのホテルの名前を教えてもらい、 タクシーでそのホテルに向かった。

ふらふらの状態でそのホテルにチェックインし、倒れるようにベッドにもぐり込んだ。長い長い移動の一日がようやく終わった。

悪夢のような一日から一夜明けたが、体調はあいかわらず悪いようだ。熱を計ってみるとなんと39℃もあるではないか。 それはしんどいわけだ。ゆっくりとしたかったが、今日はどうしても中国銀行に行って両替しなくてはならない。 手持ちの人民元がほとんど底をつきかけていたからだ。

ぐったりと重たい体を引きずり、フロントで中国銀行の場所を聞いてタクシーで中国銀行に向かった。 しかし、ここで重大な問題に行き当たってしまった。妙にガランとしたオフィスだと思ったら、 なんと外貨両替のためのスタッフがいないではないか。外貨両替だけでなくほとんどすべての窓口が閉まっていた。 一体何が起こったのだろうか。わずかにいた服務員にトラベラーズチェックの両替をお願いしてみたが、 今はスタッフがいないから出来ないという返事だった。ではいつなら両替できるのか聞いてみると、何と「8日」だという。 倒れそうになった。今日はまだ3日だ、8日といえばあと5日もある。

この時は知らなかったのだが、中国にも5月1日のメーデー(国際労働節)から始まる1週間程度の大型連休があったのだ。 そういえば町の中には「五一・・・・」と書かれた垂れ幕があちこちにかかっていたのをおぼえている。

さて、どうしようか。

一度宿に戻り、今の自分の置かれている状況を説明することにした。フロントで、まず延泊したいことを伝え、 しかし金がなく中国銀行で両替も出来ない、このホテルで両替が出来るだろうか、と聞いてみた。しかしホテルでは両替できないという。 フロントの人も中国銀行に電話したりしてくれたがやはり無理なようだ。米ドルの現金を持っていたので、 とりあえず8日までこのホテルに滞在させてもらうことにして、50ドルを保証金のような形でフロントに預けることで話は落ち着いた。 この凱里に5日も滞在するのは気が進まないが、この体調の悪さを考えると、休養ということでちょうどいいのかも知れない。 それにしても旅行中一番みじめなのは体調が悪くてふせっている時とお金がないときだと思った。 それが二ついっぺんにやって来たのだから目も当てられないや。

中国銀行が開く予定の8日まで、毎朝中国銀行の前まで行って様子を見るのが日課となった。 何かの間違いであって欲しいという気持ちが強かったが、そんな僕の気も知らず、いつまでも中国銀行は開く気配はなかった。

旅に出てから、多少体調が悪くなっても食欲がなくなるということは、これまで一度もなかった。 どんなときも食欲だけは旺盛であった。しかし今回はその食欲がまったくわいてこない。食欲がないと中国の油っこくて、 濃い味付けの料理はなかなかきついものがある。これまで「うまい、うまい」を連発しながら食べていた自分が信じられないぐらい、 中華料理を受け付けなくなってしまった。ニンニクのにおいを嗅ごうものなら、それだけで胸焼けがする思いだった。 それでも食べるものは食べなくては体力がつかないので、朝は油条(揚げパン)と豆乳、昼はパンやバナナ、 夕食は小龍包とお粥がさしあたりの定番メニューとなった。

凱里は小さな町で、その構造もいたって分かりやすい。体調が悪いからといって、ずっと寝ているのは逆に良くないだろうと思い、せめて午前中だけでもぶらぶらと町中を歩くことにしていた。お金もなかったので、散歩ぐらいしか出来るものはなかったが。

町の中心は大十字という大きな交差点で、東西・南北の大通りがこの大十字で交わる。一番のメインストリートはこのうちの南北に通る韶山路で、北には凱里火車站(列車の駅)、南には民族博物館が構える構成になっている。大十字しゅうへんには小規模ながら、夜になるとナイトマーケットが開かれ、衣類、音楽テープ、雑貨、風船鉄砲割り屋、土産物屋等々が店を構える。

体調がいいときは少し足を延ばして町のはずれの方に行ってみるが、わざわざ行ってみるほどの場所ではなかった。 工場のたぐいが多く、あまりに殺風景であった。凱里は病人がゆっくり休めるような場所はあまりなく、 また空気も排気ガスやほこりなどでとびきり悪かったので、結局最後はホテルに舞い戻ることになった。

この五日間はずっと午前中は散歩、午後は休憩の繰り返しだった。僕の泊まっている部屋のある4階担当の服務員のおばさんとは、 すっかり顔見知りになったが、いつまでたっても僕が体調が悪い上に人民元を持っていないということを理解してくれず、 いつも昼過ぎになると戻ってくる僕を見て、「まだ1時半だよ。ミャオ族の集落は見に行かないのかい?」と同じ質問を繰り返していた。 だから行けないんだってば。

7日になって、その日の朝も中国銀行に向かった。7日は月曜日である。もしかしたら営業していないだろうかと、 ひそかに期待を寄せていたのだが、無情にも中国銀行の営業はまだ始まっていなかった。このままこの中国銀行は永久に 再開しないのではないだろうかという、悪い考えが頭をよぎる。弱っている証拠だ。明日は8日だ。頼むから営業しててや、ほんま。

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凱里<西江>

5月8日になって体調は万全に戻ったかのように感じた。いよいよ今日、銀行で両替をして、 新しいところへ移動できるのだといううれしさが、そう感じさせるのだろう。「病は気から」とはよく言ったものである。 今朝ばかりは中国銀行に向かう足取りも軽いように感じた。天気もまた、今日はいつになく快晴である。いいきざしだ。 途中、もしかしたらまだやっていないのではという不安も幾度か心をよぎったが、いつもより銀行の前に多くの車が止まっているのを見て、 ほっと気持ちがゆるいだ。どうやら営業しているようだ。

中国銀行にはいると、ちゃんと電気もついているし、スタッフもたくさんいるじゃないか。あるべき銀行の姿がそこにあった。 銀行に入って、これほど感動したのは生まれてはじめてである。ようやく人民元が手に入ったところで、早速ホテルに戻り、 お世話になったスタッフにお礼を言い、チェックアウトした。

ホテルを後にし、バスターミナルへ向かう。今日の目的地は凱里近郊のミャオ族の村、西江である。 西江はその名前と数枚の写真以外、何の情報もなかったが、「とりあえず行ってみよう」ということにした。 行けば何とかなるということが、何となく分かってきた。

バスに乗り込むのが早かったので、一番前の特等席に座ることが出来た。一番前は窓が大きく、 風景を独り占めしているような気分になれる。もっとも僕以外の乗客はみな地元民なので、 楽しんで風景を見ている人間など僕一人ではあったのだろうが。バスの出発は昼の12時だったが、 出発早々タイヤ交換などしていたので、結局凱里の町を出たのは1時頃のことであった。

少し走ると周辺の風景は早くも山深い山村の風景となった。榕江から凱里へ向かうバスで一度通ったはずの道だが、 夜の寝台バスだったので、はじめて目にする風景である。このあたりはミャオ族が多いようで、これまで見てきたトン族の集落などとは、 少し集落の様子も違うように感じる。住居の基本的な架構構造はよく似ているようだが、 ミャオ族の住居はちょうど一階の真ん中にバルコニーを設けてあり、そこにデザインされた手すりが付いているのが特徴的だ。 このような家の造りの微妙な違いや、鼓楼などのシンボル的な建築がない様子が、 これら二つの少数民族の集落から受ける印象を異なるものにしているのだろう。

バスはしばらく走ると雷山という町で停車した。雷山は西江からは一番近くに位置する大きな町である。 距離的には凱里から西江と、凱里から雷山は同じくらいなのだが、地形的な理由からか、 西江には雷山を経由して大きく迂回する必要があるようだった。結局この雷山で1時間以上の大休憩をとり、 バスはようやく西江に向けて出発してくれた。

雷山からはさらに山深い未舗装の道を走ることになった。このあたりの棚田もまた美しい。 山の風景は一部荒々しいところもあるが、多くは緑に囲まれた、柔らかい風景で、その中に水の張られた棚田が、 眼下のはるか下の方まで続いている。西江は遠く、走っても走っても到着しなかった。バスはどんどん山の奥地へと入っていく。 道路は未舗装の上、くねくねの山道である。そのうち上に向かう道と、下に降りる道の分岐点に行き当たり、下の方へ降りていったので、 いよいよ西江に到着かと思ったら、なんとバスは川原に降り、川を渡りはじめた。

おいおい、まじかよ。この車はジープなどではなく、ただのオンボロバスである。ぼこぼこの河床を強引に走ると、 バスは大きく斜めに傾ぐ。めちゃくちゃ不安定である。バスが大きく揺れるたびに背中に寒いものが走る。 えらいところに来てしまったと思った。川をバスで渡らなければ行けないところに、果たして泊まる宿などあるのだろうか。 いろいろな不安が頭をよぎりはじめる。

何度か川を渡ったところで、上の方に無惨に崩壊した道路が見えた。どうやらこの道は迂回路であったようだ。 少しだけほっとしたが、逆に今度はその崩壊した道路が僕を不安にさせた。道路がそんなに簡単に崩壊してもらっては困るのだ。

ビューポイントから見た西江の風景 ビューポイントから見た西江の風景

迂回路からようやく元の道に戻り、バスはまた快調に走りはじめた。大きな集落を一つ通過し、 もうそろそろ日が暮れようかという時間帯になった時、遠くの方に集落の姿が見えてきた。 山の尾根から裾の方に向かって扇状に集落が広がっている様を見たとき、直感的に「あれだ!」と思った。 さらに近づくと、なんと集落は1つではなく、2つの尾根にまたがって広がっていた。ちょうど扇を逆さに二つ並べたような感じだ。 なんて美しい集落なのだろう。苦労したが、ここまで来るだけの価値は十分にあった。

集落全体が見えるビューポイントまで来たとき、それまで見えなかった白い近代的な建物が山裾にあるのが目に飛び込んできた。 これほど山奥の集落でも、開発の波とは無縁というわけには行かないようだった。この美しい風景も台無しだなと思う気持ちと、 どうやら宿の一つくらいはありそうだという、どこかほっとした気持ちが、なんだか複雑に入り混じっていた。

心配していた宿は思ったよりもすんなり見つかり、久しぶりの豪華な夕食をとり、ゆっくり移動の疲れをとることにした。 また移動をはじめることが出来た喜びと、西江が想像以上に素晴らしいところであったうれしさからか、食欲も復活したかのようである。

昨日は一旦回復したかのような体調の良さだったが、どうやら甘かったようだ。その原因の一つは部屋のベッドにあった。 昨夜、ベッドに横になり布団をかぶると途端に激しい咳が出始めた。あまりの激しさに自分でも驚いたぐらいだった。 多分布団から大量のほこりなどが舞い上がっているのだろう。たまらずベッドから飛び出し、呼吸を整える。 持参していた布で布団をカバーするような形で寝ると咳がぴたっと止んだので、やはりその布団が原因だったのだろう。 昨夜のダメージは大きかったようで、今朝は朝から頭痛に悩まされることになってしまった。もういい加減にして欲しい。 そう簡単に全快は望めないのだろうか。

しかし頭が痛いくらいでは、こんな魅力的な集落を前にして、じっとしていることは出来なかった。雨が降っていたせいか、 山間部にある西江はずいぶん冷え込んでいたので、ジャケットをはおって出かけることにした。

メインストリートの様子 メインストリートの様子

山裾には南北にメインストリートとでもいうべき通りが走っており、新しい町の機能はだいたいこの通り沿いに集中している。 僕が滞在している宿もこの通り沿いにある。小さいながらも食堂、商店、診療所などもある。

このメインストリートから尾根にのびる道に一歩足を踏み入れると、そこにはもう新しい建物はなく、 まったくの古い集落の姿しか見られない。新築の住居も同じ伝統的な様式で建てられている。山にへばりつくように住居が密集して建てられ、 その間を通路が縦横に走る。

伝統的なミャオ族の民家 伝統的なミャオ族の民家

美しく石が敷き詰められた道
バルコニーのある家が見える 美しく石が敷き詰められた道バルコニーのある家が見える

一部コンクリートでつくられた通路もあるが、大部分は土のままか、石を積んだりして通路を舗装してある。 尾根をぐるっと回ると、ふいに眺望のひらける場所に出た。目の前には一面の棚田が、真ん中を流れる川の両側に広がっている。 しばしその美しい風景に目を奪われてしまった。

集落の向こうには険しい山並みが続く 集落の向こうには険しい山並みが続く

棚田 棚田

昨日バスで通りかかったビューポイントから、もう一度西江を見てみたくなり、川の対岸のビューポイントまで登った。 すごい迫力だった。住戸は約千戸あるらしく、この西江は「苗族千戸村寨」として苗族(ミャオ族)最大の集落規模を誇っていた。 その千戸の住戸が二つの尾根にまたがり、密集して広がっている様は圧巻である。黒ずんだ木造の壁に黒い瓦屋根の住居が ぎっしりと隙間なく尾根の斜面に千戸もへばりついていると、まるでその黒いかたまり自体が一つの生命体であるかのように見えた。

集落の中の様子 集落の中の様子

穀倉の前でポーズをとる子供達 穀倉の前でポーズをとる子供達

ビューポイントを後にし、宿に戻る前に今度は朝登ったのとは別の尾根の方に登ってみることにした。一番上の方まで登り、 気に入った場所があったのでスケッチをはじめた。スケッチをしていると、いつものように子供達が僕のまわりに集まってくる。 みんな全然遠慮というものをしない。むしろ図々しいと言った方がいいか。スケッチをしているというのに、 どうどうと僕の真っ正面からスケッチブックをのぞき込んできたり、また別の子はいろいろと僕の荷物をいじくり回す。 とにかく好奇心旺盛なのだ。でもみんなかわいいので、腹も立たない。一人の子が食べていたおやつをくれるというので、 少し分けてもらうと、とても辛かった。おやつというよりか、どちらかというとご飯に振りかけて食べれば美味しいような味だった。 写真を撮ってあげると、みな大喜びで、僕のメモ帳に住所と名前を書き残し学校に戻っていった。

西江にはもっと長居したかったが、あの宿の住環境の悪さには、今の体調ではとても耐えられそうになかったので、 明日西江を出発することに決めた。旅はまだまだ続くのだ、もっと体は大切にしなくてはダメだと思った。

黒いシルエットで浮かび上がる西江
黒いシルエットで浮かび上がる西江

朝7時30分頃、山の上からそろそろ朝陽が差し込もうかという時に凱里行きのバスは出発した。本当は8時出発の予定だったが、 画学生達が多数乗り込んできたので、バスは瞬く間に満員になり、早めの出発となったのだろう。昨日の雨がウソのような快晴である。 バスは出発し、向かいの山から西江の姿を見たとき、思わず息を飲んでしまうほど美しい光景がそこにはあった。 陽の光が射し込むとともに、地面からはうっすらと靄が立ちこめ、またそれに同調するように家々からは朝餉の煙が立ちのぼる。 こちら側からは集落はちょうど東、つまり日の出の方向に見えるため、尾根にへばりつき密集した家屋は、 逆光でその黒いシルエットのみが浮かび上がる。この白い靄の中に、黒いシルエットが見え隠れする様子は、まるで水墨画のように美しく、 生涯忘れがたいような風景をそこに創り出していた。

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