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ホーム旅行記>01.中国前編(アジア旅行2001-2002)

01.中国前編

4.客家土楼 <2001年4月15日〜4月19日:屯溪→高頭(承啓楼)>

<屯溪>高頭(承啓楼)

I県から屯溪へ向かうバスの中で、僕は朝早い中国の田園風景に目を奪われていた。太陽が昇る頃、地面から朝もやが立ちのぼり、 風景をやわらかく包み込む。古めかしい徽派民居の村とその背後にひかえる山、そしてその周辺に広がる田畑。 とにかく美しかった。あちこちで牛を使って、田を耕している光景が見られる。田んぼにはやはり牛がよく似合う。 こういう風景に出会うと、「ああ、やはり旅に出てきてよかった」と心から思うのだ。

黄山から厦門までの「無座」のチケット 黄山から厦門までの「無座」のチケット

早くにI県を出たので、朝8時頃には屯溪に到着した。そのまま火車駅(列車の駅)に向かったが、 次の目的地である厦門(シアメンまたはアモイ)行きの列車は、すでに出てしまっていた。 厦門行きは朝の6時台と7時台の2本しかないということなので、その場で明日のチケットを購入する事にした。 硬臥(寝台のこと。上級の「軟臥」という寝台もあるが料金はバカ高い。)がよかったが、 「没有」(なし)という答えが返ってきたので、しかたなく硬座(指定のある座席)に切り替えた。 しかしなんとしたことか、硬座すらも「没有」であるという。硬座で行けなかったら、いったい僕はどうやって厦門まで行けばいいのだ? 厦門までは列車で行っても24時間以上かかる。代わりにバスを乗り継いで行くという考えは、この時は起こらなかった。

困っていると、しかしチケットは売ってくれるという。硬座はないって言ってたのに、一体どういうことか? 受け取ったチケットを見てみると、そこには何やら見慣れない文字が書かれていた。「无座」、後で調べてみると、 これは「無座」という意味で、つまりは「自由席」ということだった。どうしても早く厦門に行きたいという気持ちが強かったとはいえ、 えらいチケットを手にしてしまった。24時間「無座」の旅、果たして耐えることが出来るだろうか?

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屯溪<高頭(承啓楼)>

翌早朝。「無座」のチケットだが、出来れば席を確保したい。かなり気合いを入れて席取り合戦にのぞんだが、 早朝であったためか、列車は意外にすいており、たやすく席を確保することが出来た。身動きのとりにくいバスに比べて、 比較的自由に動き回れる列車は楽だった。

硬座用の席は背中合わせの垂直の座席で、向かい合って数人が座るようになっている。「硬」座というといかにも硬そうだが、 席には多少のクッションがあるので、それほど「硬い席」というイメージはない。硬座という名前が付いているだけあって、 かつてはやはり木製の座席だったのだろうか。

長い移動になるので、のんびり本でも読もうかと思っていたが、外の景色に見とれてそれどころではなかった。 場所が変わるにつれて、風景も少しずつ変わってくる。そんな当たり前のことが、当たり前のこととして、 素直に感じられることがうれしかった。

風景を眺めているつもりでも、僕の目は自然とそこに建つ民家に吸い寄せられていってしまう。風景が変わるとともに、 そこに建つ家の様子もまた少しずつ変わってくる。最初は白い塗壁が特徴的だったのが、地面の色が赤くなるにつれ、 家も赤いブロック造が目立つようになる。それがそのうち黄土色の土を突き固めて作られた版築の家があらわれだしたりして、 土地に根ざした建築は見ていてとても面白い。

近くにいた人達と筆談などして時間をうっちゃるが、なかなか時間がたたない。24時間列車に乗り続けなければならないと思うと、 余計に時間がたつのが遅く感じられる。おしりもだんだん痛くなってくる。しかしそれでもおばさんからサトウキビをもらったり、 おやつをもらったりして楽しく過ごすことは出来た。

中国人は、果てしない時間をやり過ごすためか、皆なにがしかのおつまみを車内に持ち込んでいる。 場所によっては今回のようにサトウキビなどの大物もあるが、その代表格はなんといっても「ひまわりの種」である。 中国人ほどひまわりの種をよく食べる国民はまずいないと思われる。殻付きの種を「カリッ」と歯でくだき、 器用に中の身を舌で取り出す。あっちでもこっちでも、延々とこの動作を続ける中国人の姿が見られる。食べるのはいいが、 問題はその後である。中国人にはゴミをゴミ袋に入れるという発想がないのか、食べた後のゴミはすべて床の上に捨てられる。 数時間もすれば車内はゴミだらけになってしまう。タイミング良く服務員がモップで(!)ゴミを集めてまわるのだが、 その時に集められたゴミの山の量には驚きを通り越して、ただただあきれるばかりだ。なぜモップを使うのかというと、 そのモップは水で濡らされていて、つまりは拭き掃除と掃き掃除を一度に済ませてしまおうという発想から来ているようである。

列車の中で食べようと、僕もあらかじめ食料を買い込んでおいたが、車内でもいろいろな食べ物を買うことが出来る。 時間帯によってゆで卵や焼き鳥、サトウキビやチキン、鶏の足、バナナなど様々である。カップ麺や弁当も売られており、 列車の中だけで十分事足りるほどだ。値段は結構でたらめで、終盤にさしかかるとどんどん値が下がり、 1個1元(15円)で買ったチキンが、30分後には4個1元にまで下がり、これにはさすがの中国人も苦笑していた。  こんな感じで夜も更け、寝苦しい夜へと突入していった。

朝6時頃、列車はようやく厦門駅に到着した。ちゃんと座れたためか、予想以上に疲労は少なかった。

厦門は福建省の南東部の海岸沿いに位置し、「客家土楼」を訪れる際の起点となる町である。 「客家」とは漢語の一方言である客家語を話す漢族の一系である。主として広東省・福建省・広西省の省境地域に居住している。 なぜ「客家」なのかというのは、先住する地元の人々に対して、彼らは後になって移住してきた人達、つまり「客」であったからである。 客家は、古い時代に中原より南下してきた民族であり、先住者を避け山地に孤立・隔絶して住みついた過程において、 伝来の漢族の文化を保持する一方、広く知られることもなかった。(参考:茂木計一郎他『中国民家の空間を探る』(1991)建築資料出版社)

ひっそりと寄り添いあって、自分たちの身を守る必要があったためか、彼ら客家の人々はまるで要塞のような、 驚くべき住居建築を作り上げた。土で作られた分厚い壁の中に、一族数百人の大家族が住んでいるというので、 住居というよりはまるで小さな村である。土楼の形は円形や四角形、五角形など様々あるが、とにかく巨大である。 大きなものでは直径が60mを越えるものもある。本当に驚きに満ち満ちた建築物なのだ。

厦門から高頭までのバスチケット 厦門から高頭までのバスチケット

学生時代に初めて目にしてから、心奪われてしまったあこがれの住居がもう目と鼻の先にある。 長い長い列車の旅を終えたばかりであったが、迷うことなくバスターミナルへ直行した。目指すは客家土楼の中でも、 最も有名な「承啓楼」がある永定県高頭郷である。

数時間走ってバスは山地に入った。中国らしい農村の風景がまわりに見られるようになってきたところで、 ふと気がつくともうそこに土楼はあった。

バスから見えた風景バスから見えた風景

あまりにさりげないので見逃してしまいそうだったが、よく見ると確かに四角形をした方楼である。ひとつ見つかると、 まるでタケノコのようにあちこちに土楼が地面から「生えている」のが目に飛び込んできた。客家土楼はその形態の珍しさから、 天然記念物ものの稀少な住居であると勝手に思いこんでいた僕は、その数の多さにおったまげた。 昨日の朝から移動をはじめてもうすでに30時間近く経っていたが、客家土楼に出会えた感動で疲れなどすべて吹き飛んでしまった。 肉体と精神が強く結びついているということが、こういう時よく実感できる。土楼をひとつでも見逃すまいと、 高頭郷に着くまでバスの窓にかじりついていた。

バスの運転手にあらかじめ円楼が見たいと言っておいたので、ちょうどお目当ての「承啓楼」の真ん前で僕を降ろしてくれた。 感動の対面だった。

「承啓楼」正面の様子 「承啓楼」正面の様子

まるで城壁のようにのっぺりとした、どでかい円形の壁の上に黒い瓦屋根が傘のようにのっかり、 「承啓楼」と書かれた立派な正面入口がぽっかりと口を開けていた。その口からは中の様子がちらりと見え、 ブタやニワトリ、アヒルの鳴き声が聞こえてくる。ドキドキとはやる気持ちを抑えながら、呆然と承啓楼の威容を眺めていると、 中からおばあさんが出てきて僕を中に招き入れてくれた。どうやら食事に招待されたようだ。

内部の様子 内部の様子

通路にはアヒルやニワトリが 通路にはアヒルやニワトリが

招かれて中に入ってみると、外からの閉鎖的な様子とはまったく異なる世界が広がっていた。 先祖を祀った祖堂を中心に4重の円形構造になっており、内側の3重の円は低層で、一番外側だけが4層と高くなっている。 4層の居住部分は、無骨な土の外壁とはうってかわって、繊細な木造の表情を持っていた。低層部分は主に穀物庫や家畜小屋、 厨房などに使われている。通路ではアヒルやニワトリがやかましく鳴き声をあげながら歩きまわり、 少し広くなったたまりの部分には井戸も見かけた。「外皮と内臓」という形容がぴったりだと思った。円楼の中にはまさに生活があふれており、 限られた空間の中によくこれだけの豊かな世界を創り出せるものだと感心した。中国の伝統的な古民居や遺産を見るたびに、 普段接している中国人が、よくこれだけ創造性豊かなものを創り出せたものだと考えてしまうが、 そのギャップもまた中国の魅力のひとつなのかも知れない。

一体何杯食べただろうか。腹がはち切れそうなほどの昼食をいただいた後、おばあさんが部屋に案内してくれた。 この承啓楼に泊まってもいいという。一泊20元(300円)という値段を聞いて即OKした。部屋は4階(承啓楼は4階建て)で、 空き部屋をこうやって旅人に提供しているようだ。部屋の前にはバケツが置かれていて、小便はここでしなさいとおばあさんが教えてくれた。

こんな部屋に泊まった こんな部屋に泊まった

部屋に荷物を置き、下に降りるとおじいさんがあらわれ、「何日いるんだ?」と聞かれたので2日ほど泊まりたいと答えると、 勝手にこの2日間の僕の予定を立ててしまった。最初おじいさんは、この承啓楼が中国最高の土楼なので他の土楼は見る必要はないと 言っていたが、僕が少しでも多くの土楼を見たいと言うと、しぶしぶこの予定を立ててくれたのだ。こんなところにも自分の住む土楼に 対する誇りが感じられて面白いと思った。

午後はバイクタクシーをチャーターして近郊の有名土楼を見学してまわった。それぞれに特徴があり、 土楼建築のバリエーションの豊かさに驚かされる。バイタクで走り回っていると、あらためてこの地方の土楼の多さに驚かされる。 時には朽ち果てた土楼も見られるが、まだまだ現役で頑張っている土楼が多いようである。意外に山奥にあるのが、 土楼が残りやすい理由のひとつなのかも知れない。

さすがに田舎だけあって夜はライトなしでは歩けないほど真っ暗である。おじいさんの孫の案内のもと、 懐中電灯の明かりをたよりに近くの宿にシャワーを借りに行った。汗と雨を洗い流し、さっぱりして承啓楼に戻る。 辺りからはかえるや虫の鳴き声が聞こえてくる。寝るために部屋に上がる途中、再び承啓楼に泊まれるという喜びが こみ上げてくるのをかみしめる。裸電球の灯りのもと、今日の感動を忘れないうちに日記をしたためた。

部屋の前から見た内部の様子 部屋の前から見た内部の様子

昨夜は雷が鳴り、雨が降っていたが、どうやら今朝もまだ雨は降り続いているようである。軒先から雨がしたたり落ちる音が聞こえてくる。  朝早く6時に起きだし、僕は承啓楼内部のスケッチにとりかかった。この旅の間、心ひかれる町や村に出会ったら描きとめておこうと思い、 スケッチブックを持っていくことにした。学生時代から恋いこがれた承啓楼だけにペンを握る手にも力が入る。

朝飯の時間になると孫の男の子が僕を呼びに来た。今日も朝から大量の朝飯をいただき、再びスケッチに戻った。 僕がスケッチをしていると知ったおばあさんは、僕のために小さな椅子とお茶、それにふかし芋を持ってきてくれた。 おばあさんの優しさの詰まったふかし芋は、とても甘くて美味しかった。

増築された土楼 増築された土楼

昼からはおじいさん自らが、高頭郷内の何ヶ所かの土楼を案内してくれた。いろいろと説明してくれるが、身振り、 手振りだけではやはり何となくしか意味が伝わってこない。自分が中国語が出来ないことがもどかしい。 今日は方楼や珍しい五角楼などを見せてもらった。見学の途中では円楼の増築というのも何ヶ所かで見かけた。 ベランダや部屋などがぼこぼこと円楼の外に、寄生虫のようにへばりついていた。おじいさんに言わせると「不好!」 (よくない)だそうだが、僕にしてみれば、確かに不格好ではあるが、生活の欲がにじみ出ていて面白いなあと思った。

宿に戻り、夕食までの間、また別のところのスケッチをはじめた。ポツリポツリと雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気の中、 傘をさしながらスケッチをした。学校の下校時間になると、通りかかった子供達がもの珍しそうに僕のスケッチをのぞき込んでくる。 僕の持っている傘をかわりに持ってくれたりして、絵が描き終わるまでずっと僕のそばでスケッチを見ていた。

承啓楼での最後の食事の時、僕のために肉入りのおかゆを出してくれた。いつも通り、これでもかというぐらいおかわりをついでくれる。 肉入りだがおばあさん達はあまり肉は口にせず、ほとんどを僕のお椀に入れてくれる。決して豊かとは思えない暮らしをしている人達から、 これほどまでに心のこもったもてなしを受けると、果たして本当の豊かさとは一体何なのか分からなくなる。 日本にいるとなかなか考えることのないこのような問いも、旅に出ると考えざるを得なくなる。「豊かさとは何か?」難しい問いである。

もっとたくさんの土楼を見るために他の村にも行ってみようかと考えていたが、この2日でお腹いっぱいになってしまった僕は、 他の村には行かずに厦門に戻ることにした。バスで厦門に戻る僕をお世話になったおじいさん、おばあさん達が見送ってくれた。 承啓楼での素敵な滞在に「謝謝!!」である。


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