ホーム>旅行記>01.中国前編(アジア旅行2001-2002)
うんざりするほど漢字の地名がびっしりと書き込まれた中国全土の地図帳から、僕は「程陽」という、 たった一つの村の名前を探し出そうとしていた。わかっている情報は、ただその「程陽」が広西壮族自治区にあるということだけだった。 広西壮族自治区といっても、その広さは約23万6千ku、実に日本の本州の面積と同じほどもある。 その本州と同じ面積の中からゴマ粒のような地名を見つけようというのだ。11ページにわたる広西壮族自治区のページを しらみつぶしに探していくが、なかなか見つからない。地図帳から「程陽」の2文字を探すのが、なかば日課となりかかっていたある日、 何度も見たはずのページから、ようやくその「程陽」を見つけることが出来た。
程陽は桂林の北西、約百数十キロのところにあった。
何故これほどまでに程陽が気になるのか。それは、この程陽が「木の民」と呼ばれるトン族が住む村であり、 そのトン族が生み出した風雨橋の中で、最も美しいとされる「程陽風雨橋」がある村だからだ。風雨橋とは、 屋根がかけられた美しい橋のことで、鼓楼と並びトン族の優れた建築技術を代表する建築物である。 風土に根ざした集落や建築に興味のある僕としては、さけては通れない魅力的な場所であった。
桂林からバスで龍勝という町へ向かうことにした。20〜30分に1本の便があり、かなりメジャーな路線のようだ。 桂林を離れるとバスは山道に入り、ちらほらと集落の姿を見かけるようになる。
程陽に一番近い大きな町は三江という町だが、この龍勝は、桂林からその三江へ向かう路上にある。 あるガイドブックで、この龍勝には少数民族の村があるという、何ともアバウトな情報を見かけ、立ち寄ってみることにしたのだ。 行ったところで、果たしてそれが何族の村なのか、どうやってその村に行けばいいのか、何も分からなかったが、とにかく行ってみることだ。
到着した龍勝は小さいながらも、普通の町であった。バスの窓から過ぎゆく通り沿いの風景をぼんやり眺めていると、 ふいに「English spoken」と書かれた看板が目に飛び込んできた。「おやっ?」と思い、振り返ってみてみるが、 もうその看板は見えなくなっていた。 ほどなくしてバスは龍勝のバスターミナルに到着。僕は先ほど見えた看板を求めて、今バスで通ってきた道を引き返した。 思った通りその看板は宿の看板だった。川に面して建つその宿の名前は、その名も「River Side Hotel」という。 その看板に吸い寄せられるように、僕はその宿の中に足を踏み入れた。看板に偽りはなく、この宿では確かに英語が通じた。 何度も言うが、英語が通じるということは、中国においては本当に特筆すべきことである。先の陽朔にしても、この龍勝にしても、 小さな町であるにもかかわらず英語が通じるのは、おそらく桂林という世界的な一大観光地のすぐ近くにあるためなのだろう。
部屋は3人部屋のドミトリールームで、20元(300円)/ベッドだった。安いのもうれしかったが、 なんといってもすぐ裏に川をのぞむことが出来るのがよかった。この宿は道路側は2階建てのように見えるが、 川に面した方は4階建てになっており、眼下に川を見下ろすことになる。あいにくの曇天続きだったが、 それでもこの視界の広がりは気持ちよかった。
龍勝を流れる川
英語が通じると情報を集めるのがずっと楽になる。龍勝についてから、どうやって少数民族の村へ行けばよいのか多少の不安はあったが、 宿の人からあっさりその情報を手に入れることが出来た。宿のおばさんによると、龍勝から約32km離れたところに、 「龍脊」という古い壮族の集落と、壮大な棚田が見られるらしい。バスに乗って行くことが出来るが、 今日はもうそれだけの時間がないので、明日訪れてみることにした。その壮族の集落以外にも近場に「銀水*寨」 (*はにんべんに同の字でトン族のトンの文字)という見所があるというので、今日はとりあえずそこに行ってみることにした。
龍勝には路線バスが2ライン走っていて、そのうちのA路に乗って行くことが出来る。運賃はわずか1元(15円)のお手軽な旅だ。 「銀水*寨」にはトン族の風雨橋があったが、道路のすぐそばにあって趣がないし、そのうえ入場料を取られるので、 外からさっと見るだけにして、ここに来る途中、川の対岸に見えた集落まで行ってみようと思った。
集落に続く棚田のあぜ道
龍勝は川沿いに発展した町で、その川を隔てて世界がガラッと変わる。龍勝の中心部は川の西岸の平地が多い部分を中心に広がるが、 川の東岸は川を渡る橋が町を離れないとないことと、急な斜面地であるため、発展からは取り残され、 棚田と集落ばかりというのどかな光景である。
牛の糞のにおいがほのかに香る川の東岸のあぜ道を、どこか懐かしい気分にひたりながら歩いていく。 遠くからはよく見えた集落の姿は、近づいていくと逆に見えなくなってしまう。簡単にたどり着けそうなのに、 これがなかなかそう簡単にはたどり着けないのだった。予告なく寸断されてしまうあぜ道に悪戦苦闘していると、 それを見かねたのか、遠くの方で農作業をしていたおじさんが「そっちじゃない、こっちのあぜ道だ」と手振りで教えてくれた。 かつて論文の調査でフィリピンの山岳民族の集落に滞在していたときにもあぜ道には苦労した。特に棚田のあぜ道というのは、 一見どのようにでも歩いて行けそうに見えるのだが、実際に人が通れるようになっているあぜ道はそれほど多くはなく、 どの方向に行きたければ、どのあぜ道を行くべきかというのがちゃんと決まっているのだ。だからそれを知らずにだいたいの見当で歩いていくと 、全然思い違いの方向に進んでしまって面食らってしまう。
集落の中の様子
高床式の住居
意外に遠い集落までの道のりを苦労して進んでいくと、ようやく集落の姿が見えてきた。トン族の集落だろうか、 それとも壮族か、それぞれの違いに関する知識がないので判断がつきかねたが、素朴な美しい集落だった。 住居は木造の躯体に立派な黒い瓦屋根がのっかっている。斜面に建っているので、石垣や高床を上手に使って家を建てている。
このような集落を訪れるといつも感じるが、あるべきものがあるべきところに上手くおさまっているというか、 道にしろ、家にしろ、田畑にしろ、とにかく集落を構成する要素が周辺の風景にしっくりと馴染んでいるのである。 その風景にはその土地に根ざして生き延びてきた人々の知恵や苦労といったものがにじみ出ているように思えた。 そしてその風景の中で暮らす人々の姿もまた、その風景にしっくりと溶け込んでいる。積み上げられた時間だけが創り出せる、 このような風景に僕はいつも圧倒され、そして美しいと感じる。
喜々としながら集落の中を歩きまわり、気に入った風景を見つけるとスケッチをした。通りかかる村人が興味を示してのぞき込み 「好」と行ってくれた時はやはりうれしい。
宿に戻ると同室のアメリカ人ジェイコブが戻っていた。聞いてみると彼はもうすでに1年半も旅を続けている強者だった。 部屋の隣のバルコニーに出て、隣の部屋に入っているフランス人のカップルをまじえて、ビールを片手に楽しいひとときを過ごした。 川を眺めながら夜風にあたるのは気持ちのいいものだ。ジェイコブによると、夜になったら鵜飼いが見えるということだったが、 残念ながら今夜は鵜飼いはやって来なかった。
次の日の朝、目覚めると実に久しぶりに太陽の光がふりそそいでいた。朝飯を終えて戻ってきたジェイコブとあいさつをかわし、 久しぶりの晴天を喜びあった。彼は一足早く、次の予定地である三江に向けて出発する。僕も次は三江に行く予定なので、 「三江で会おう」と別れを告げた。
さて、僕も準備をすませ外に出る。天気は快晴、龍脊を訪れるには最高のコンディションだ。 バスターミナルで龍脊を訪れる際の起点となる黄洛へのバスに乗り込んだ。バスが走り出してしばらくし、 服務員が集金にまわってきたとき、黄洛へ行きたいというと「不行(行かない)」と言われ愕然とする。 バスに乗るときに何度も確認し、おまけのこの服務員にもちゃんと確認したはずなのに、さてはこやつまじめに聞いてなかったな。 どうやら本当に行かないようなので、あわててその場でバスを降ろしてもらう。バスターミナルからはかなり離れてしまったが、 何とか歩いて戻れる距離ではある。朝一番から汗だくになって、さえない気分でバスターミナルへの道のりを戻っていった。 バスターミナルに戻ると黄洛行きのバスはもうすでに出発してしまっていたが、幸いまだ次のバスがあるという。 今度こそさらに念入りに確認し、間違いなく正しいバスに乗り込み、あらためて黄洛へと出発した。
このあたりはもうバスで走っているだけでも十分わくわくする風景の連続である。山一面の棚田と、その中に点在する集落の家並み。 このあたりは壮族、ヤオ族の居住地であるらしい。土地は広大だが、集落ごとに寄り集まって家を建てている。 棟の方向が等高線と同じ向きにそろえられているので、遠くから見ると等高線に沿って、 黒い屋根が流れるように並んでいるのが見え、とても美しい。壁や柱は木造で、古くすすけて黒くなっているので、 集落全体がしっとりと黒く、落ち着いたたたずまいを見せている。これまでよく見てきた白い塗り壁や茶色い土壁とは、 またまったく異なった表情となっている。
雄大な山の風景
バスが目的地に近づくと、少数民族の衣装を着た女性達がバスに乗り込んできた。 村と棚田へのチケットを売りに来たのだ。僕は先日、同じく龍脊を訪れたというジェイコブから、 このチケットの話を聞いていたのでよかったが、知らなければかなりビックリしていただろう。 チケットは30元(450円)、ちょっと高いような気がする。
バスが黄洛に到着すると大勢の客引きが寄ってきた。民族衣装を着た女性達がガイドをしてくれるという。 ガイドはいらなかったが、あまりのしつこさとその迫力に負けて、20元(300円)というところを10元 (150円)にまでまけてもらって、結局ガイドをやとうことにした。彼女はかなりのスローペースで山道を登りはじめる。 あたりには美しい棚田と集落の風景が広がる。時々彼女が野いちごらしきものを摘んできて僕にも渡してくれる。食べてみると、 甘酸っぱい、昔食べた記憶のある味だった。
はるか高く持ち上げられた住居石垣も見事
石の敷き詰められたストーンロードをたどり、集落の中を通り抜けていく。中には古い家と同じように建てられた新しい宿があり、
どうやらここに泊まることも出来るようであった。やがて棚田をのぞむことの出来るビューポイントまでたどり着いた。
壮大な風景であったが、もっと水が入っていればより美しかっただろう。
このあたりで料金をめぐってガイドとトラブルがあった。なんだかやたらと大げさに息を荒げたり、
「疲れた、疲れた」というなあ、と思っていたら、どうやら山に登った「しんどい料」を要求するための演技だったのだ。
バレてるっちゅうねん。ガイドはその「しんどい料」として5元(75円)要求してきたが、僕は取り合わずその要求を突っぱねた。
かなりしぶとく「しんどい料」を請求してきたが、やがてあきらめて最初の通り10元でいいということになった。
棚田の風景
ガイドはこの棚田までで、ここから先は一人で龍脊へ向かった。基本的にストーンロードをたどっていけばよいと聞いていたので、 特にガイドは必要なかった。棚田のあい間にのびる石の道を歩いていく。久しぶりの晴天のもと、肌に感じるそよ風が心地よかった。 ガイドもいなくなったので、あたりを見回してもいるのは僕一人。この広大な風景を独り占めしているような、のびのびとした開放感があった。 しばらく行くと、黒い瓦屋根の集まった小さな村が見えてきた。どうやらそれが龍脊のようであった。
龍脊集落の様子
もともと棚田だった場所に家を建てていって出来上がったような村だったので、村の中は段々状の複雑な立体迷路のようであった。 上下左右、複雑に入り組んだ石の道が、狭い家と家の間を縫うように走っている。 小さな村ながら適当に歩いていると迷子になってしまいそうだった。帰りのバスの最終が夕方早い時間だったので、 あまりのんびりと村の中を散策する時間はなかったが、時間ぎりぎりまでその村の中を歩きまわった。
迷路のような路地
帰りは下るだけなので、簡単に分かるだろうと思っていたが、それが大間違いだった。 宿の人にストーンロードをたどればよいと聞いていたので、安心していたのだが、何としたことか、ここ龍脊から先、 石の道はまるであみだくじのように枝分かれしていた。果たしてどの道を行けばよいのか、 とにかく手当たり次第にそこらにいた村人に道を聞くが、村を離れるとほとんど人もいないので、牛に聞くわけにもいかず、 とにかく自力で何とかしなくてはならない。刻一刻と迫り来るタイムリミットに焦りを感じながら、何度か行ったり来たりを繰り返し、 何とかそれらしい道にたどり着くことが出来た。かなり下の車道に近くなってきたとき最後の分かれ道があったが、 どうやら正しい方を選択したようだ。無事バスの道にたどり着くと同時にバスがやってきた。 もうあとほんの1分も遅れていたら乗り過ごしていただろう。危ないところだった。
こんな夕方早い時間にバスがなくなってしまうのは半信半疑だったが、今乗っている乗客が僕を含めてわずかに2人しかいないのを見て、 何となく納得した。途中の和平という村で、とうとう乗客は僕一人になってしまった。よほど利用客の少ない路線なのだろう。 バスの方もたった一人の客を乗せて龍勝まで行くのは割が合わないのか、和平から龍勝までの運賃を僕に返し、 乗り合いタクシーに乗り換えるようにお願いしてきた。乗り合いタクシーがバスと同じ値段で走っていることを知りちょっと驚いた。
くたくたになり町に戻ったが充実した一日だった。龍勝の川沿いはきれいに整備されており、 夕方の涼しい時間帯になると結構人が集まってくる。僕も夕方は気持ちいいので、この川縁に出てきて時を過ごすようにしていた。 マーケットで肉まんなどを買い、川を眺めながらのんびり肉まんをほおばるのは、なかなか幸せなひとときであった。
宿に戻り、今日一日の汗を流すべくシャワーを浴びようと思った。しかしどうやってもお湯が出てこないので、 宿のおばさんにお湯の出し方を聞きにいった。「シャワーを浴びたい」というと、おばさんは自分の娘らしき女の子を呼び、 お湯が出るようにするように指示した。するとその子は能面のような無表情な顔で僕に「シャワーを浴びたいのか?」と聞いてきた。 「そうだ。」と答えると、「今浴びたいのか?」と言うので、もう一度「そうだ。」と答えた。 女の子は「ちっ」とただ舌打ちだけして、渋々といった感じでお湯を出るようにしてくれた。 客の前で堂々と舌打ちするその図々しさ、無神経さが中国人らしくておかしかった。
龍勝から三江でバスを乗り継ぎ程陽を目指した。三江は川の両岸に発達した町で、川の両岸それぞれにバスターミナルを持っていた。 龍勝から到着したバスターミナルには程陽行きのバスがなかったので、バスターミナルにいた人に尋ねたところ、 どうやらこことは違うバスターミナルがもう一つあるらしいということが理解できた。中国ではバスを利用することが多かったので、 ことバス移動に関しては、少し勘が働くようになっていた。川を渡り、そこらの人にバスターミナルの場所を聞くと、 あっさり見つけることが出来た。程陽行きのバスもそこから出ていた。利用者の多い路線らしく、 通路まで立っている乗客でいっぱいになった。三江から程陽はほど近いところにあるので、程陽までは車窓の風景を楽しむ間もなく、 あっという間に到着した。
程陽風雨橋
程陽につくと、まるで村への玄関のような格好で「程陽風雨橋」が迎えてくれる。程陽は観光地であるので、 一番の見所であるこの「風雨橋」の上にはずらりと土産物屋が並んでいたが、それでもなお美しさを保っていた。 橋の向こうには伝統的なトン族の住居が所狭しと建ち並ぶ村の姿が見えている。心臓の鼓動がにわかに高まるのがよく分かった。
村の外に何軒か宿があったが、出来れば村の中に泊まりたかったので、とにかく橋を渡ることにした。 ある程度観光地化された村には、何らかの形で住居を宿として提供しているところがあるということが分かってきていた。 案の定、橋を渡っていると、向こうから声をかけてきた。値段を聞いてみると1泊10元(150円)というので、 とりあえず見せてもらうことにした。
連れて行かれた家はトン族の伝統民居で、そのうちの一室が僕にあてがわれた。トイレは床下のブタの隣で、 どうやらシャワーはなさそうだった。床下といっても、トン族の住居は高床式なので、立って歩けるぐらいの高さは十分にある。 この床下は主にブタなどの家畜のためのスペースとなっている。ただ明かりを灯さないと真っ暗なため、 知らない間にいろいろな「モノ」を踏んづけていそうだった。食事も3食それぞれ10元というのを5元にまけてもらい、 一泊トータル25元(375円)でOKした。
お世話になるのは陳さん一家。ちょうどお昼時だったので、早速昼飯をいただいたが、肉料理、野菜料理、卵料理と種類も豊富で量、 味ともに大満足の内容だった。驚いたことにこの家にはファミコンもどきがあって、子供達が「キャプテン翼」に大はしゃぎしていた。 コマンドなどすべて日本語、しかもひらがななのに、ちゃんと理解しているところがおかしかった。「パス」や「シュート」 などの意味を一体誰に教えてもらったんだろうか。こと遊びに関しては、子供というものは驚くべき能力を発揮するようだった。 一つのカセットの中には7つぐらいのソフトが入っていて、「テトリス」なども入っていた。
一緒にバスケをした子供達
その子供達に誘われて、村の小学校にバスケをしに出かけた。村のはずれにある学校まで、田んぼのあぜ道を通り抜けて行き、 学校のフェンスをよじ登って校庭にもぐり込んだ。まさかこんな田舎の村でバスケが出来るなど思いもしなかったが、 この意外な展開が楽しくもあった。3対2にわかれ、ハーフコートで試合をした。かなり手加減したが、負けてしまってちょっとくやしかった。 試合の後、子供達が近所の井戸に水を飲みに連れていってくれた。生水であったが気にはならなかった。 動いてのどが渇いた後に飲む井戸水は、まったりとして美味しかった。
バスケの後、子供達と一緒に集落の中をぶらぶらと見てまわった。どこからか楽器の音や音頭を取る音が聞こえてくるので、 つられて音のする方に行ってみると、鼓楼の前の広場で、民族衣装を着た人達が輪になって踊っている。 どうやら観光客に向かってパフォーマンスを行っているようだった。パフォーマンスが終わると、 土産物売りのおばさん達がぞろぞろと活動をはじめる。僕も標的の一人にされ、かなりしぶといおばさんを 何とか振り切って再び集落の散策に戻った。
鼓楼と住居
広場に出て気づいたことだが、集落内の普通の家は黒い瓦屋根で葺かれただけの素朴なものばかりだが、広場に面して建っていた、 集落の「顔」ともいえる「鼓楼」は屋根が漆喰のようなもので白く縁取られており、普通の住居からは明らかに際だった存在となっていた。 また、夕暮れ時、その鼓楼の軒下に老人達が集ってくつろいでいる姿を見て、鼓楼が集落の中心的存在であることがなんとなく 分かったような気がした。
程陽の中の様子
暗くなる前に陳さんの家に戻ろうと思ったとき、ふと立ち止まってしまった。はて、家はどこだったかな? 村の中の道は細く、まるで複雑な迷路のようである。おまけに建っている住居はどれもこれも伝統的な形式の民家ばかりで、 みな同じに見える。しかも僕は究極の方向音痴ときている。必死に頭の中の記憶の糸をたぐり寄せつつ、 村の中をさまよい歩いた。喜々として村の中を歩きまわり、要所要所の風景を頭に刻みつけていたので、まるで連想ゲームのように、 それらの風景をたどりたどっていくと、ほとんど奇跡的に陳さんの家までたどり着くことが出来た。
夕食時になると家の主である陳さんが、「ティエン・ゾン・ツォ・イー」(田中周一の中国語読み)と僕を呼びに来る。 陳さんの家族と一緒に腹一杯の夕食をいただいた。夕食の後、陳さんにトン語をいろいろ教えてもらったが、 それは中国語というよりは、どちらかといえば東南アジアの国々の言葉により近いように感じた。東南アジアの特に少数民族の言葉は、 僕の耳にはみな「ニャーニャー」と、少し鼻にかかった、どこかネコの鳴き声のように聞こえる。教えてもらったトン語の単語にも、 そのようなやわらかい響きが感じられたからだ。例えばトン語では「河」のことをずばり「ニャー」という。水のことは「ナン」、 酒は「カオ」、魚は「パー」、父親のことは「プー」、数字の十は「シェップ」、どれもこれも中国語ではあまり耳にしない発音で あるように思える。
トン語を教えてもらったお礼に、僕は日本語を少し教えたが、特に「ちゃわん」という言葉が子供達には大いにうけたようだった。 僕が教えるときに「これは、トマト。これは、箸。これは、やかん。・・・・」という風に、常に「これ」という言葉をつけていたのを聞いて、 子供達は面白がり、おぼえた言葉すべてに「コレッ」という言葉をつけるようになってしまった。最後は子供達による「コレッ、トマト。 コレッ、チャワン。コレッ、ハシ。」という変な日本語の大合唱となった。
陳さんは僕のことを気に入ったのか、その後もなかなか僕を解放してくれず、夜遅くまで、ひたすら筆談などしていた。 ようやく解放されて、部屋で一人でくつろいでいると、いきなり陳さんが乱入してきて、入ってくるなり「俺もここで寝る」 と言って、ひとりすやすやと眠りはじめてしまった。さて今から日記でも書こうかと思っていた僕もあわてて床についた。
次の日の朝は陳さんが朝飯を用意してくれた。中国の男性は料理の達人が多い。食堂などではむしろ男性が料理している方が、 当たりが多いように思う。陳さんも手慣れた手つきで中華鍋を扱っていた。
風雨橋の中
朝食を食べた後、陳さんがついて来いというので、一緒に出かけることにする。どうやら程陽周辺の集落を案内してくれるようだ。 昨日の夜、僕が集落や古い伝統的な建築に興味があることを話したからだろう。
程陽の村の中を通り抜け、やがて小さな路上のマーケットに出た。マーケットでは果物、野菜、魚、ブタなどが売られていた。 陳さんは知った顔の人達と言葉をかわしながら、マーケットのまわりをぶらついている。そしてスモモの詰まったビニール袋を僕に手渡した。 食べろというのだ。僕は有り難くそれを頂戴し、やって来たバスに陳さんとともに乗り込んだ。
陳さんが連れていってくれた集落は、程陽からはほど近いところにある集落で、集落の外からでも見えるぐらい高い鼓楼が2つも建っていた。 石の敷き詰められた、集落内の階段を上っていくと、程なくしてその2つの鼓楼の建つ広場にたどり着くことが出来た。 おそらくはどの道を通っても、この集落の中心である鼓楼広場にたやすく出られるようになっているのだろう。それほど強い存在感を、 この鼓楼は持っていた。程陽と同じように、この集落でも「鼓楼」と「舞台」と「広場」の3つの要素がセットになって、 集落の中心に配置されていることを考えると、これらの要素がトン族のアイデンティティーとして重要な意味を持っているのだろう。
鼓楼
舞台と広場
帰りは歩いて帰ろうという陳さんの提案に従って、程陽までの道のりをぶらぶら歩いていくことにした。 しかしバスならすぐの距離も歩くと結構遠い。陳さんの顔にもどことなく後悔の色があらわれてきた頃、 都合よく一台の3輪タクシーが通りかかり、ちゃっかりそれに便乗させてもらうことにした。二人とも軟弱である。
程陽に戻り、僕はスケッチに向かった。夕方までスケッチに費やした後、山の上にちらっと見えている東屋のような ところまで登ってみることにした。そこからなら程陽の全体が一望できるはずである。
山から見た程陽
目指していた頂上とは別の頂上に出てしまったが、尾根づたいに何とか目的の東屋にたどり着くことが出来た。 やはり山の上から見下ろすと、集落の構造がよくわかる。想像していたとおり、鼓楼、舞台、広場はちょうど集落のど真ん中にあり、 それを取り囲むように家が密集して建っている。そのまわりには田んぼが広がり、背後に山、さらに外側はぐるりと川がめぐるように流れている。 上から見ると非常にわかりやすいように感じるのだが、ひとたびこれが集落の中に入ってみると、まるで迷路のように複雑に感じるのは、 やはり不思議なことである。どれだけ歩いても、その中にいては、集落の全体像を捉えるのはとても難しいことだと思った。
程陽での最後の朝、陳さんの「ツォ・イー」(周一)という呼び声で起こされた。ドンドンとドアをたたく音で否応なく起こされる。 朝飯のようだ。 今朝の朝飯は子供達も一緒だ。揚げたお米のお茶づけが出てきて、これが絶品だった。最後は陳さんがバスの所まで見送ってくれるという。 お世話になった家族の人達にお礼を言い、家を後にすると、家の中から子供達が大声で「コレッ、トマト。コレッ、チャワン!!」 と言っているのが聞こえてきた。僕は振り返り、もう一度家に向かって手を振った。