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ホーム旅行記>02.東南アジア前編(アジア旅行2001-2002)

02.東南アジア前編

1.ラオス北部 <2001年5月31日〜6月06日:ルアンナムター→ムアンシン>

<ルアンナムター>ムアンシン

宿や商店、屋台など、いろいろあって結構にぎやかな中国側の国境に対し、ラオス側の国境の町ボーテンはとても寂しいところだった。 ただ国境のゲートを越えるだけで、これだけ世界がガラッと変わってしまうというのは、初めての経験だった。 地図の上でしか目に見えない国境線の意味の重さを思い知らされたような気がする。

中国側では、旅行者と見ると「チェンジ マネー?」と寄ってくる中国人に囲まれたのに、 ラオス側ではただちっぽけな銀行があるきりだった。両替屋でもないものかと、しばらく辺りをぶらついてみたが、 それらしいところを見つけることが出来なかったので、とりあえず財布の中の中国元をすべてキープ(ラオスの通貨)に両替し、 当座の費用とした。(レート:1元=1020キープ)両替したお金は5千円にも満たない額だったが、 かえってきたお金は38万2500キープというとんでもない額だった。分厚い札束を手にして、 にわかにお金持ちになったような気分になったが、もちろんそれは単なる錯覚であるのだが。

キープを手に入れたところで、次は最初の目的地であるルアンナムターに向かうバスを探さなくてはならない。 ルアンナムターは国境からバスで2,3時間南に下ったところにあるルアンナムター県の県都で、 そこからラオス北部のムアンシンという町に向かう予定にしていた。銀行で「ルアンナムターに行きたいんだけど」と聞いてみると、 「向こうだ」というので、その方向に少し歩いてみると、たくさんのトラックと2台のバスが止まっている広場に出た。 あまりバスターミナルらしくはないが、これがバスターミナルなのだろうか。 止まっていた2台のバスはルアンナムターに向かうバスではないらしく、とりあえずそこにあった東屋の下でボーっと ルアンナムター行きのバスが来るのを待った。

それにしても何もないところだった。国境のバスターミナルにしてこれだから、これから先が少し思いやられる。待っている間に、 とりあえず「どこに行く?(パイ サイ?)」という言葉は数字より先に憶えることが出来た。

待つこと2時間、いつの間にかバスターミナルに来ていた乗り合いトラックの運転手に声をかけられた。 「どこに行くんだ?」というので、「ルアンナムター」と答えると、「あれだ」と、そのトラックを指さした。 そろそろあきらめて今日はボーテンに一泊かなと思っていた矢先だったので、とてもうれしかった。 値段は10000キープ(国境のレートで約147円)。まだキープの相場すら把握していないので、 果たしてこの値段が妥当なのかどうか分からない。しかし決して高い値段であるようには思えなかったので、その値段で乗り込むことにした。

雨期のラオスではかなりの悪路を想像していたが、思っていたほどではないようだ。乗り合いトラックの荷台には、 僕の他におばちゃんが乗っていたので、「どこまで行くの?」とおぼえたてのラオス語を使って聞いてみた。 それまでしかめっ面をしていたこわい顔のおばちゃんは、にっこり笑って「・・・・・・」と何やら地名らしき名前を答えてくれた。 ちゃんと通じたみたいだ。「僕はルアンナムターまで」と言い、ついでに「日本人です(コーイ コン ニップン)」と付け加えておいた。 ちょっとしたことだが、会話できてうれしかった。

ボーテンからルアンナムターへ向かう道中の風景は明らかに中国とは異なるものだった。中国の田舎の風景を、 もっとずっと素朴にしたような風景とでもいうのだろうか。うまく説明は出来ないが、同じ田舎といえども、 大国中国の田舎と小国ラオスの田舎の違いが風景となってあらわれているのかも知れない。

目にする住居は、ほとんどすべて木と竹と藁葺きでつくられていて、どこも子供の姿をよく見かける。 牛やアヒルなど、いろいろな動物が道路をのさばり歩いているのは中国でもお馴染みの風景だ。雨は降ったりやんだりをを繰り返し、 雨期らしいじっとりと蒸し暑い気候になっている。

トラックはだいたい予定通りルアンナムターに到着したが、トラックが止まって運転手が僕を呼びに来るまで、 それがルアンナムターであるとは気づかないほど小さな町(村?)だった。県都というぐらいだから、 もう少し大きな町を想像していた僕は、この小さな町がルアンナムターだとは信じられなかった。もう日も暮れて、 辺りはすっかり暗くなってしまっている。とにかく宿を探さなくてはと思い、ぶらぶらと歩いていると、 確かに看板などにルアンナムターの文字が見られ、この町が確かにルアンナムターであることを確認し、ほっと一安心した。

2軒ほどめぼしい宿をあたって、安い方にチェックインした。「安い部屋はありますか?」とラオス語で聞いてみたが、 まったく通じなかった。幸い英語を少ししゃべる人が出てきたので、その人相手にやりとりした。 部屋は一泊15000キープ(約222円)。宿にはやたらと西洋人旅行者が多いが、日本人の姿は見られない。 シャワーは当然のように水しか出なかったが、暑いのでそれでも気持ちいいぐらいだった。部屋は電気がつかず、 用意されているロウソクで明かりをとり、今日の日記をしたためた。

翌日も朝から雨だった。雨期らしく激しく降りつける雨の音が、部屋の中まで聞こえてくる。

洗面所でコップとスプーンを洗っていると、日本人らしき女の子がそばを通りがかり、 お互い思わず「日本人ですよね?」と声をかけ合った。聞いてみると、昨日の夜、僕より後にこの宿に到着したらしい。 タイからラオスのフェイサイへ抜け、激悪路の中、ここルアンナムターまでやって来たという。 ラオスの雨期の道路は悪路だという話は聞いていたが、やはりそれは本当らしい。口調から明らかに大阪人であることが分かった。

朝飯を食べた後、宿からすぐ近くのマーケットに行ってみるが、これがマーケット?とと思ってしまうぐらい小さな規模で、 日用雑貨店が薄暗い建物の中に並んでいた。それでもマーケットを訪れるのは楽しいもので、 いかにもやる気のなさげな店のおじちゃんやおばちゃんを横目に見ながら、怪しげな商品たちを物色した。

この町にはもう一つ食料品を扱っているマーケットがあるので、そっちの方にも行ってみた。 規模的にはこちらの方がずいぶん大きく、食料品の他に雑貨などの店も並んでいた。ドロドロの道に囲まれた、 オープンエアーの建物の中に食料品が並べられている。量も種類も中国のマーケットには劣るが、 それでもラオスで初めてのマーケットは十分楽しいものだった。鳥を焼いたものや、葉っぱに包んで蒸した食べ物、 パンケーキのようなものなどが並んでいて、こういうところで食事を済ませれば安くつきそうだ。 マーケットのまわりには麺の屋台も出ていて、昼食はそこで食べることにした。中国の雲南省で食べた麺に近いものがあり、 同じように米で作られた麺が出てきた。味もぼちぼちいける。

ナムター川 ナムター川

昼飯の後、町の東を流れるナムター川に行ってみることにした。川は町の東を南北に流れているので、 とにかく東に向かえば川に出るだろうと思い、適当な道をぶらぶらと歩いていると民家に突き当たってしまった。 幸いにも、その家の人達はとてもフレンドリーだったので、図々しくも少しだけお邪魔させてもらい、 機織りをしている所などを見学させてもらえた。くりっくりの大きな目をしたかわいらしい女の子のいる家だった。

結局は地図を頼りにようやくナムター川にたどり着くことが出来た。ナムター川もまたメコン川と同じ様なドロ色の川で、 子供達が元気よく水遊びや釣りをしていた。簡単な釣り道具だったが、それなりに釣れるようで、手にはたくさんの小魚がぶら下がっていた。 川には1本竹製の橋が架かっていたが、最後の最後の所で橋がなくなっていて向こう岸に渡ることは出来なかった。 地元の人は川にじゃぶじゃぶつかって渡っているようだった。

おおむね朝から昼にかけては晴れ間も続いたが、時々通り雨に襲われる。川からの帰り道に、小さな商店で雨宿りさせてもらいながら、 ラオスもなかなかいいところだと思った。

外も暗くなった頃、夕食を食べに出かけ、どこにしようかとぶらぶら歩いていると、暗闇の中にホタルが一匹、二匹、 よく見るとたくさんのホタルがこの町にもいるようだった。夕食を食べた後、ナムター川まで行ってみようかと思ったが、 よく考えると宿の門限は10時だった。今はもうすでに9時半である。10時までに行って戻ってくるのは難しいので、 川へ行くのはあきらめ、おとなしく宿に戻ることにした。

この宿はちょうどルアンナムターのメインストリートに面していて、部屋のある2階のバルコニーからはメインストリートや、 向こうの山並みを見渡すことが出来る。そういえば夜の町をしみじみと眺めるという機会も、これまであまりなかったなということに気づき、 バルコニーの扉が閉められるまで手すりの上に座ってぼーっと夜の町を眺めていた。所々の家から明かりがもれる以外に明かりはなく、 通りは真っ暗ではあるが、月明かりのせいか、遠くの山並みのシルエットなどはよく見える。時々車やバイクなどが通りを行き交うのを見ながら 、10時の門限はちょっと早すぎるよなと思った。

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ルアンナムター<ムアンシン>

今日もまた朝から雨が降っている。今日はルアンナムターの北西にあるムアンシンという町へ移動する予定だが、 これだけ降っていると移動する気も失せてしまう。ムアンシンへのバスは朝の8時、9時、10時、11時に出ているので、朝の10時のバスに乗ることにして、それまで宿でのんびり待つことにした。

幸い出発前にタイミング良く雨がやんでくれ、今日同じくムアンシンへ向かうという大阪の女の子と一緒にマーケットの前の バスターミナルに向かった。出発10分くらい前にバスターミナルに着くと、10時発のムアンシン行きの乗り合いトラックは、 もうこれ以上一人も乗れないほど、ぎゅうぎゅう詰めの満員だった。どうしよう、次のバスにしようか、と話していると、 親子連れの2人がバスから降ろされ、かわりに僕ら2人を乗せてくれた。親子連れ2人が気の毒で、あまりいい気はしなかった。

ルアンナムターとムアンシンの間の道は舗装されていて、それほどの悪路もなく快適だった。幌付きの荷台の中だったので、 周辺の風景はあまり見えなかったが、相変わらずのどかで何もない風景が広がっていることに変わりはなかった。 途中ぽつぽつ見かける集落は、柱などは木、壁は竹を編んだもの、屋根は藁葺きといったずいぶん質素な民家が多かった。

トラックはマーケットの目の前にあるバスターミナルに到着。相変わらずバスターミナルとは呼べないほど何もないような広場だった。 ムアンシンの第一印象はルアンナムターの縮小版のような町というものだった。周辺には田んぼが広がり、果てしなくのどかな村だった。 ただ少数民族のおばちゃん達の激しい土産物売り攻勢に、しばしば辟易させられたが。ここムアンシンは北部の中でも特にツーリスト の多いエリアらしく、こうなったのもそのためだろう。町の中には西洋人旅行者の姿もよく見かける。

宿の裏に広がる田園風景 宿の裏に広がる田園風景

宿は日本人宿であるという「SEANGSAVANG GUEST HOUSE」に行ってみた。マーケットのすぐ裏にあり、 その向こうには見渡す限りの田んぼが広がっており、さらにその向こうにはのどかな山並みが連なっている。

ルアンナムターでは大量のホタルを見損ねたので、ここムアンシンで探してみようと思い、夜の町をホタルを求めてさまよい歩いた。 ずっと町のはずれまで歩いていくと、水のあるところにはやはりホタルがいて、そこにも大量のホタルが舞っていた。 月明かりがかなり明るいので、真っ暗闇の中にホタルの光が見えるというわけではなかったが、 それでもまわりには人工的な光がほとんどない分、ホタルの光はかなり明るく感じ、とても美しかった。 牛や虫や蛙の鳴き声のする中、しばしこの美しくて幻想的な光景を楽しんだ。ルアンナムターと同じく、 この町も夜10時には消灯なので夜は早い。

ムアンシンの周辺にはヤオ族やアカ族、黒タイ族など山岳少数民族の村が多く、 ムアンシンからは自転車や徒歩でこれらの村を比較的簡単に訪れることが出来る。 このラオス北部のちっぽけな町を訪れる旅行者が多いのもそのためである。僕もまた少数民族の村を訪れてみたいと思って ムアンシンまでやって来たのだった。

レンタサイクル屋で自転車を借り、昨日手に入れたムアンシン周辺の民族村マップを頼りに村の散策に出かけた。 あまりに地図がアバウトなのでどれがどの道にあたるのかよく分からない上に、人に聞いても要領を得ないので、 結局一番イージーな中国国境方面へ向かう舗装路を行くことにした。走っているうちに集落の姿も見られるだろうと思っていたが、 少々走ったぐらいではなかなか求めているような民族色の強い集落も見あたらなかった。

ずっと平地を走っているのだが、若干上り坂になっていて、自転車の質が悪いというせいもあったが、結構疲れた。 山が近づいてくると、ようやく山の中腹に集落らしき姿が見えてきたので、とりあえずはその中腹の集落を目標にした。

動物の皮が張り付けられたゲート 動物の皮が張り付けられたゲート

ムアンシンから7km程の地点で、Adima ゲストハウスの看板が見えたので、そのAdima ゲストハウスに向かってみた。 このゲストハウスのまわりには、少数民族の村以外は本当に何もなく、町の喧噪から逃れてのんびり過ごしたい人には絶好のロケーションである。 またこの宿には周辺の村情報が写真や地図で分かりやすく置かれていて、その地図を見て、このゲストハウスを起点に、 いくつかの集落を訪れることが出来るということが分かった。地図をメモし、宿のレストランで昼食を食べてから、 宿に自転車を置かしてもらい、そこからは徒歩でアカ族の村へ向かうことにした。

ゲストハウスから少し行くと、あっけないほどすぐに村のゲートが見えてきた。ゲートは竹を組んで作られていて、 てっぺんには何かの動物の皮が張り付けられていた。いかにもプリミティブ(原始的)なそのたたずまいを見て、 その先にあるはずの集落に対する期待がいやが上にも高まる。このゲートに触るのはアカ族のタブーに触れることであるらしいので、 写真を撮るだけにとどめた。さらに少し行くと、もう一つ同じ様なゲートがあり、そちらには動物の皮は張り付けられておらず、 長く伸びた竹の棒に三角形の印がつるされていた。これは「ここはアカ族の村である」ということを示す印なのだろうか。

2番目のゲート 2番目のゲート

集落は土がむき出しの斜面地に、藁葺き屋根の民家が広々と並んでいた。これまで中国では、 もっと密集して家が建つ集落を多く訪ねていたので、ここのようなゆったりとした土地の使い方は僕の目には新鮮に写った。 民家の他に小さな穀倉も多く見られた。いずれも床を高く持ち上げた高床式のものである。

集落の中を散策しはじめると、まず犬が吠えはじめ、続いて「サバイディー(こんにちは)」 と子供達がすごい勢いで家から飛び出してくる。何かと思えば、いきなり手を差しだし、「何かくれ」とねだってくる。 Adimaゲストハウスのすぐ近くにあるだけあって、この村には訪れる旅行者も多いようだ。あちこちの家から手招きをする人が現れ、 お土産物売りが始まる。写真を撮っていいかと尋ねると、即座に5000キープ(約74円)という答えが返ってくる。 あまりに観光客に馴れた村人達の様子に驚いた。まだ先にも村があるので、この村にはあまり長居はせずに次の村に向かうことにした。

対面の山腹に見えた集落の様子 対面の山腹に見えた集落の様子

次の村に向かう道は、細いドロドロの山道が延々と続き、あたかもミニトレッキングのごとき様子になってきた。 道のりは意外に遠かったが、天気は良く、緑濃い山道を行くのは気持ちの良いことだった。途中3方向への分かれ道があり、 一旦は違う方向に行きかけたが、すぐにおかしいことに気づき、おそるおそるながら、更に上へ登る道を選択した。 それが正しかったようで、そこからしばらく歩くと、ようやく山の中腹に集落の姿が見えてきた。 多分自転車から見えた集落がこれなのだろう。まだ対面の山腹なので、谷を一つ越えなければならないが、 不思議なもので村の姿を見た途端足取りも軽くなり、元気が出てきた。

ようやくたどり着いた村だったが、ここの子供達もまたふもとの村と同じく、旅行者に馴れきっていた。 旅行者を見るとすぐに寄ってきて、物を欲しがるのだ。適当な場所を見つけてスケッチをはじめるが、スケッチをしている横で 「サバイディー、ペン?(こんにちは、ペンちょうだい)」とおねだりしてくる。2時間ほどこの村に滞在したが、 この子供達の相手でほとほと疲れてしまった。

アカ族の集落 アカ族の集落

たまたま山を降りるアカ族のおばさんがいたので、おばさんについて山を降りたが、行きの大変さからは信じられないぐらい、 あっけなくふもとまでたどり着くことが出来た。Adimaゲストハウスに到着した途端雨が降り出してきたので、 しばらくレストランでアンマンなど食べながら雨宿りしたが、やみそうにないので雨の中自転車で帰ることにした。 帰路は下りになっているので、ずいぶん楽で、行きの半分ぐらいの時間でムアンシンにたどり着くことが出来た。

ラオスは夜が早いので、朝も早い時間に自然と目が覚める。ラオスに入ってから、夜は10時に寝て、 朝は6時過ぎに起きるという、何とも健康的な生活のテンポが出来上がっていた。 ムアンシンではその健康的な生活のリズムに沿って、毎日のように周辺の村へと出かけていった。 いくつもの村を訪れるうちに、最初に訪れたAdimaゲストハウスの周辺の村が異常に旅行者馴れしているのであって、 他にはもっと素朴な村がいくつもあるということが分かってきた。

川の手前から見た集落の様子 川の手前から見た集落の様子

ムアンシンからルアンナムターへのびる南西方向の道を7km程行った所にあるアカ族の村もまた素朴な村だった。 快晴の空のもと、アップダウンの繰り返しの道を頑張って自転車をこいでいる時に偶然見つけた村だが、 村のすぐ前を川が流れており、村自体はごく緩やかな斜面に立地していて、なかなかいい感じの村だった。 時間帯が真昼であっただけに、村には子供と老人以外の姿は見かけなかった。家の床下では水牛がもぐもぐと口を動かし寝そべっていた。 何とものどかな風景だった。

集落の中の様子 集落の中の様子

あまりにきつい日差しを避けて、民家の軒下を借りてひと休みしていると、はじめは遠くの方から興味ありげにこっちを見ていた 子供達だったが、最初の一人がこっちに近づきはじめると、ぞろぞろとみんな近くに寄ってきた。お姉さん格の二人が民族衣装を着ていたが、 それ以外の子供達はみな普通の服装だった。何人かの子供達が首から穴の開いたコインをぶら下げていたので、 どこのコインかと思って見せてもらうと、どうやらフランスのコインのようで、無理やり真ん中に穴をあけてネックレスに仕立てたようだった。 この村では写真を撮っても、誰もお金や物は要求してこなかった。

ムアンシンに滞在して数日後に、宿に新しい日本人がやってきた。すぐには気づかなかったのだが、 驚いたことにその人は、景洪の版納賓館で出会った長期滞在組のギター野郎の一人だった。彼は昔、中国に留学していたらしく、 中国が好きで、今回の旅では計8ヶ月も中国に滞在していたらしい。一カ所に長居する事が多いので、どうしても旅が長くなってしまい、 もう2年半も日本に帰ってないとさりげなく語ってくれた。

夜遅くにまた景洪から来たという日本人とアメリカ人の女性の2人組が宿にやってきて、 それまで静かだったSEANGSAVANG GUEST HOUSEがにわかに賑やかになった。客が増えると、これまでなかったお茶葉や、 バナナなどが談話スペースに登場した。

その翌日ムアンシンのワット(お寺)で、また驚きの再会があった。 その日ワットでは、新しく僧侶になる人のためのお祭りがあるということで、朝飯を食べた後そのお寺に行ってみることにした。 お寺には大勢の村人が集結し、床の上に敷き詰めた布の上に座っていた。寺の入口の前の軒下では食事の準備が進んでいて、 じっとその様子を眺めているとちまきを3つももらってしまった。皆ひたすら食事の準備をしていて、 果たしていつ祭りが始まるのかよく分からないまま、所在なく辺りをぶらぶら歩きまわっているときに、 偶然昆明の茶花賓館のラオス領事館でビザを申請するときに出会った、ワーホリ(ワーキングホリデー) 帰りの日本人女性にばったりと出くわした。ほんの少ししか話はしていなかったが、お互い顔を憶えていて、この偶然の再会を驚きあった。

話を聞いていると、昨日の夜、景洪から来た女の人も、このワーホリ帰りの女の人も、景洪では版納賓館に泊まっていたみたいで、 更に偶然なことに、僕が寝ていた604号室のドミトリーの真ん中のベッドに、僕の後に昨日来た女性が入り、 その後にこのワーホリ帰りの女性が入っていたということがわかり、こういう偶然もあるもんだと驚かされた。 確かに中国からラオスにはいるには、景洪経由で南下するルート一本しかないため、特にムアンシンの様な小さな町だと、 このような再会は珍しいことではないのかも知れない。

祭りは食事の準備が終わると、全員で食事を食べはじめ、中を覗いていた僕たちにも声がかかった。 食事はカオニャオ(もち米)をはじめ、豆腐やピーナッツ、タケノコと野菜のおひたし、おからのようなものなど6品ほどあり、 なかなか美味しかった。食事が終わると皆席を立ちはじめる。僕も席を立ち、外に出ると、食事の準備をしていたおばさん達が外で 食事をしていて、宿の主人のセーンさんもそこにいて、また食事の席に呼ばれてしまった。お腹はすでに一杯だったが、 そこでもまた少し食事をいただくことにした。

食事が終わると、お寺の中からすぐ隣の小さなお堂まで、長い布が敷き詰められ、お坊さんがその道を歩くための準備が始まった。 まもなくお坊さん2人の行進が始まったが、驚いたことにおじさん達が競ってお坊さんの通り道にうつ伏せに寝そべり、 うれしそうにお坊さんに踏みつけてもらっていた。どういう意味があるのかは分からなかったが、おそらくそうしてもらうことによって、 何らかの御利益があるのだろう。

その日の夕食は宿の主人のセーンさんと宿に泊まっている人達が用意してくれたご飯を一緒にいただいた。 宿には新しく景洪から来たメンバーが一人加わっており、計5人で食卓を囲み食事を楽しんだ。 食事の後は皆でホタルを見ながら、暗い町のはずれでギターの演奏会となった。虫やカエルの鳴き声しか聞こえてこない夜の風景の中に、 久しぶりに聞く日本の歌が少しもの悲しく響いていた。田んぼの前の道に寝ころび、夜空に浮かぶ月を眺めながら、 ギターの旋律を聴くのも、たまにはいいもんだと思った。

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