ホーム>旅行記>02.東南アジア前編(アジア旅行2001-2002)
少々長居したムアンシンに別れを告げ、ルアンナムターへ向かう乗り合いトラックに乗り込んだ。 ルアンナムターで乗り換えて今日はウドムサイまで向かうつもりだ。同じく今日ムアンシンを出るという大阪人のYサンと、 昨日の祭りで知り合ったOさんと一緒に行くことにした。同じ宿で仲良くなった人達が見送りに来てくれたが、妙な縁がある人達なので、 また旅の途中で出会うかもしれない。
一度通った道だったが、行きよりもずっと悪い道に感じた。車が飛び跳ねるたびにYさんが人一倍飛び跳ねて、 悪戦苦闘している姿がおかしかった。ルアンナムターに到着するとウドムサイ行きのバスが待っており、 思ったよりスムーズに乗り継ぐことが出来た。ラオスで初めてのバスは乗り合いトラックなどに比べるとやはり格段に快適で、 5時間かかると思っていた道のりを4時間ほどで僕たちをウドムサイまで運んでくれた。
ウドムサイはラオス北部の中心地であるが、それでも「町?」と言いたくなるような規模であった。やはりラオスはどこまで行っても田舎である。
ウドムサイからポンサーリーまでのトラックのチケット
読みとれるのはチケット代38000キープ(約540円)と
左上のナンバープレートの番号を示す数字だけ
特にこれといって見所のないウドムサイには一日滞在しただけで、次の日の朝一番にラオス北部の町ポンサーリーに向かった。 ウドムサイからポンサーリーまでは約10時間。きつい移動になりそうだ。もともとポンサーリーに行くつもりはなかったのだが、 ガイドブックにはこのポンサーリーは「少数民族のるつぼ」であると書かれており、またムアンシンの宿に置いてあった情報ノートにも、 このポンサーリー周辺の少数民族情報が記されているのを見てむらむらと行きたくなってしまったのである。
少し早めにバスターミナルへ向かったのだが、ポンサーリー行きのトラックはすでにほぼ満員状態で、 中央の通路部分にも荷物がどっさりと積み込まれていた。どう考えても中に乗り込む余地はないので、 仕方なくトラック後部の出っ張りに足をのせて立ったままバスの出発を待った。これはますますつらい移動になりそうだと思ったが、 幌に囲まれた内部と違って、爽快な風を全身で受け、周囲の風景を思いっきり楽しめるこの後部「立ち席」は、 意外にも僕にとっては特等席と言えるものだった。また、旅ならではのちょっとばかりスリリングなこのシチュエーションに 多少なりとも酔っていたのかもしれない。しかしそんな余裕をかましていられるのも晴れている間だけだった。
6月のラオスは雨期である。爽快に走るのもつかの間、雲行きが怪しくなってきたと思ったら早くも雨が降り出してきた。 ついさっきまで特等席であったはずの後部「立ち席」は一瞬にして最悪の「吹きさらしずぶ濡れ席」へと変わってしまった。 無惨に濡れていく僕の姿を見て中に座っているおじさんが麦藁の山形帽を貸してくれた。片手でトラックの屋根につかまりながら 片手で帽子を押さえておかなければいけないので、ちょっとつらいところもあったが、その心遣いがうれしかった。 降ったり止んだりの不安定な天気だったが、途中の村で数人の村人が降りたので、ようやくトラックの中に座ることが出来た。
2時頃に何もないまったくの山道でトラックが停車し、突然昼食タイムが始まった。みな当然のように昼飯を持参しており、 そこらに座り込んでむしゃむしゃやりはじめた。何も持ってきていないのは僕だけだ。さっき傘を貸してくれたおじさんに頼んで 、昼飯の輪に加わらせてもらった。しかし間の悪いことに、ほんの少し食べたところで突然また大雨が降り出し、 あわててトラックの中に引き返した。引き続きトラックの中で昼食タイムが再開され、おじさん以外からもカオニャオ(もち米) や鳥などをいただいた。みな親切なのだ。滝のような大雨だったが、それほど長くは続かず、じきに止み、トラックは再びポンサーリー へ向けて出発した。
途中いくつかの村や町を通り過ぎ、そのたびに人の乗り降りがあったが、車内はいつまで経ってもぎゅうぎゅう詰めのまま、 それどころか車内の荷物はますます増えて通路は山盛りの状態となったが、さらにその荷物の上によじ登ってくるおばさんもいて、 やはり東南アジアの女性はたくましいなあと感心してしまった。鉄砲を持ち込むおじさんや長い蛍光灯を持ち込むおじさん、 アヒルを持ち込むお姉さんなど、トラックの中の荷物もポンサーリーに近づくにつれてバラエティーに富んできて面白かった。 鉄砲を持ち込んだおじさんは鉄砲の銃身がトラックの屋根のアルミ部分にあたり、知らないうちに屋根をボロボロに破壊していた。 蛍光灯を持ち込んだおじさんは天井に蛍光灯をぶら下げていたので、辺りが暗くなってくると、青年がおじさんに「電気をつけてよ」 と冗談を言ったりして、おそろしく混んでいる割りには和やかな雰囲気だった。
トラックはひたすら山の中をひた走り、一体いつになったらポンサーリーにたどり着くのだろうかと思った。 遅くとも10時間で着くだろうと思っていたので、トラックの乗車時間が10時間を超えるとさすがにつらくなってきた。 トラックはいっこうに山を降りる気配もなかったし、いつまで経ってもまわりは見渡す限り山ばかりだ。 そのうちに遠くの方に大きめの町のようなものが見えてきた。もしかしたらポンサーリーは山の上にある町だったのだろうか。 後でガイドブックを見てみるとポンサーリーは山の上にある町であるとちゃんと書かれていた。
ポンサーリーから見える山並み
ポンサーリーに到着したときには、すでに日は落ち、辺りは店から出る明かり以外真っ暗だったが、ムアンシンの 情報ノートで仕入れた情報をもとに宿を探し当て、無事チェックインすることが出来た。宿の一階がレストランになっていたので、 そこで晩飯を食べた。11時間の移動ですっかり疲れてしまったので、晩飯の後、シャワーも浴びずに床についた。 それでもポンサーリーに到着した時に見た黄色い夕焼けがとても美しく、まずはこれだけでもポンサーリーに来た甲斐があったと思った。
***
ポンサーリーの町は大きな町ではなく、等高線に沿ったメインストリート沿いの一列が町のほとんどすべてだった。 ラオス北部の結構な僻地にあるので、人々も素朴な感じでいいところだ。
さいながらもポンサーリーにも市場があるので行ってみることにした。市場は日用雑貨ゾーンと生鮮食品ゾーンがちゃんと分かれていて、 生鮮食品ゾーンには例のごとく麺の店もいくつか出ていた。ここの麺は最初からパクチー(香菜)が入っていて大騒ぎだった。 パクチーはこの旅行中ほとんど唯一僕が苦手とするもので、他のものなら何でも食べることが出来たが、 このパクチーだけはいつまで経ってもダメだった。麺やスープに味がしみる前に急いでパクチーを取り除く。 見た目はかわいらしいのに、その威力たるや嫌いな者には尋常ならざるものがあった。店のおばちゃんも僕がパクチーが 苦手なことが分かったらしく、パクチーを入れるための器を出してくれた。
ポンサーリーは山の上にあるので、昼間でも日が射していないときは結構寒くて、水シャワーを浴びるには結構気合いがいる。 そのためか、南国であるにもかかわらず、ポンサーリーの市場ではフルーツの種類が少なく、また見た目にしょぼいモノが多かった。
この町にはパン屋が一軒あり、夜になるとパンを売り出してくれる。なぜ夜にパンを売るのかというと、 この町もラオスの他の町と同じように電気が供給されるのが夜だけなので、パン屋も夜にしかパンが焼けないという。 僕がその店をのぞいてみた昼間には、おじさんが夜に向けてパンの仕込みをしていた。夕方、電気がついたのでパン屋を訪れてみると、 すでにおじさんはパンを焼きはじめていた。焼き上がりを待つ間、見晴らしのいい場所まで散歩がてら歩いて行って、 少しの間夕焼けを眺めていた。まるで山の向こう側が燃えているような、そんな感じの赤い空だった。
パン屋に戻るとすでにパンは焼けていて、しかもすごい勢いで売れているようだった。行ったときには焼きたてのパンはすでに2つしかなく、 そのうちの1つと程なく焼け上がってきたパンを少し買い込んだ。宿に戻る間に焼きたてのパンを一つちぎって食べてみたが、 想像以上に美味しいパンだった。ひょっとしたら日本で食べるパンよりも美味しいかも知れないと思ったぐらいだった。
翌日も昨日と同じマーケットの麺の店で朝食を食べた。昨日のパクチー嫌いの日本人だと憶えてくれていたみたいで、 笑って迎えてくれた。今日はおばさんが作る前にちゃんと「パクチーはいらないから」と念を押しておいた。 パクチーの入らない麺はやはり美味しい。最初は出されたままの味で食べていたが、馴れてくるとテーブルの上に置いてある 様々な調味料で味付けをするようになり、僕は味の素少々と、しょうゆのような色をした調味料で味付けするのが定番となった。 パンチが欲しいときは、これにさらに唐辛子を少量混ぜるとピリッと味を引き締めてくれる。
朝飯を食べた後、昨日からマンゴーが食べたい気分だった僕は、市場の中でマンゴーを探してみた。 台の上に大量のマンゴーを売っているところがあったので行ってみると、なんとウドムサイから一緒のトラックに 乗ってきたおばさん達の店だった。このマンゴーもそのトラックで一緒に運ばれてきた思い出深いマンゴーであることが分かった。 おばさん達も僕のことを憶えていたみたいで、にっこり笑ってあいさつしてくれた。なかなか美味しそうなマンゴーだったので、 少々高めだったが2つほど買うことにした。多分ウドムサイからポンサーリーからの運送料と手間賃がかかっているのだろうと思った。 宿に戻って食べたマンゴーは良く熟していてとても美味しかった。
ポンサーリーの周辺にはたくさんの少数民族がいることは分かっていたが、いざ具体的な情報となると何も持っていなかった。 どこに行けば少数民族の村があるのか見当もつかなかったが、とにかく適当に村を求めて歩いて見ることにした。ポンサーリーから さらに北に向かう道に針路をとった。周辺は山岳地帯で、どこまでも続く雄大な風景が楽しめるので、ただ歩いているだけでも結構気持ちいい。 朝起きたときにはすごくガスっていたが、少しずつ天気も良くなり、歩き始めて少し経った頃には青空ものぞきはじめた。
途中二つ三つの村を通り過ぎ、「どこに行くんだ?」と聞かれるが、「分からない」としか答えられなかった。 この先にいったい何があるのか、こっちが教えて欲しいぐらいだった。
目標は2時間歩くことだったが、2時間歩いても少数民族の村らしい村は見つからなかった。 結局2時間半ほど歩いても何の手がかりもつかむことが出来ず、重い足を引きずりながらポンサーリー目指して来た道を引き返した。 不覚にも水を持参しなかったので、水分は帰る途中に一度山の湧き水を飲んだきりだったので、ポンサーリーに戻り、 宿の近くのレストランで飲んだファンタはからからの喉にしみわたった。レストランのテレビでは、サッカーの試合をやっていて、 ちょうど日本とフランスが戦っていた。0対1日本が負けていた。一体これは何の試合なんだろう?日本から遠く離れた、 しかもラオスのこんな山奥で日本のサッカーの試合を見ているのがとても不思議な感じだった。結果はそのまま日本が負けてしまったようだ。
翌朝6時半に起き、次の目的地であるムアンゴイへ向かうべく出かける準備をした。 昨夜買い込んだ美味しいパンとネスカフェを食べてバスターミナルに向かった。ポンサーリーからムアンゴイへ行くには、 まずナムウー川沿いにあるハットサーというところまで行き、そこからナムウー川をボートで下ってムアンクア経由でムアンゴイまで 行くことが出来る。ポンサーリーからムアンクアまではバスで行くことも出来るが、来た道をほとんど引き返すことになるということもあるし、 ボートに乗ってみたかったということもあって、ボートで行くことにした。
朝一番のバスに乗ろうと思って早起きしたのに、ハットサー行きのトラックはすでに満員で、 例のごとくトラックの後部から人がはみ出している状態だ。このすぐ後にもハットサー行きのトラックがあるという チケット売場のおじさんの言葉を信じて、次のトラックを待つことにした。その言葉通り次のトラックはすぐにやってきてすぐに発車したが、 町の中を行ったり来たり、市場に寄ったりしてなかなか出発しない。客が少ないためか、トラックから小型のピックアップに乗りかえさせられ、 結局前のトラックに約1時間遅れでようやく出発してくれた。
ポンサーリーからハットサーまでの乗り合いトラックのチケット
ピックアップは昨日2時間半かけて歩いた道のりをわずか30分で走ってしまった。2時間強で車はハットサーに到着し、 船着き場のすぐ近くにで止まってくれた。
早速ムアンクア行きのボートを探そうと思っていると向こうからおじさんが「ムアンクアか?」と聞いてきたので、 「そうだ」と答えると「あれだ」と言ってスピードボートらしき舟を指さした。ラオスのボートには2種類あるようで、 「スローボート」と「スピードボート」がある。まさにそのままのネーミングだが、聞くところによると、 この「スピードボート」というのはかなり過激で、乗客は安全のためみなヘルメットをかぶらなければならないらしい。 興味はあったが、出来ればスローにのんびり行きたかったのでスローボートはないのか聞いてみるが、スローはないという。 値段的にはスローが40000キープ(572円)に対し、スピードは50000キープ(715円)と思ったほどの差はなかったので、 しかたなくスピードボートに乗ることにした。
ナムウー川に架かる釣り橋(ムアンクア)
このスピードボートにはやはりヘルメットが常備してあり、僕もそのうちの一つを取って着用した。 ボートには板で座席が作られていたが、とにかく狭い。背もたれも板なので背骨があたって痛い。 噂には聞いていたがスピードボートの速さは尋常ではなかった。まるで競艇である。波の立っているところもあるので、 そういうところに来ると舟がジャンプしかなりスリリングだった。途中雨が降り服が濡れてしまったが、 雨が止むとボートのスピードが速いためすぐに乾いてしまった。座席の狭さとジャンプの衝撃からくる尻の痛みに耐えること約2時間、 ボートは無事ムアンクアに到着した。ほとんど拷問であったが、そのかわりスリリングなおもしろさを楽しむことは出来た。
出来れば今日のうちにボートを乗り継いでムアンゴイまで行きたかったが、困ったことに今の時間、 ムアンクアからムアンゴイへ行くボートはないらしく、どうしても行きたければボートを1台チャーターして行けということらしい。 しかたなく今日はムアンクアに泊まり、明日の朝ムアンゴイに向かうことにした。
これまでの教訓から、ラオスでは移動の際には出発の1時間前にはバスターミナルに行っておかないとえらい目にあうということが 分かってきたので、今日は朝早く起きて船着き場に向かった。昨日の話では舟の出発は朝の8時の予定だったので、 7時には船着き場に着き、ムアンゴイ行きの舟に乗り込み出発を待った。早く来たためか、客はまだ誰も集まっていない。 7時半になり、そろそろ客が集まりはじめてもよい頃だったが、いっこうにその気配がない。出発時間であるはずの8時を 過ぎても客が乗ってくる様子もなければ、出発しそうな気配もまるでない。なんだか嫌な予感がした。それでも根気よく 待っていると船頭がやってきて、客がいないので今日は出ないと言い出した。それでも舟を降りろとは言われないので、 しばらくねばっていると、チャーターの話が出てきた。はじめは法外だったチャーター料も粘りに粘ってようやく許容範囲に まで値を下げることが出来た。それでもまだ高かったが、明日になっても客が集まるという保証はどこにもなく、 無駄にこの町で滞在を増やすのは嫌だったので、そのボートをチャーターすることにした。今日のボートはスローボートである。
金を払っていざ出発という時になってもエンジンがなかなかかからない。プスンプスンと何とも心許ないエンジン音を響かせていたが、 他のボートのバッテリーの力を借りてようやくまともにエンジンが始動した。舟に乗り込んでから実に2時間経った9時半に、 無事ムアンゴイへ向けて出発となった。
スローとはいえ、それでもぼちぼち納得のいくスピードは出ていた。チャーター便であったはずだが、 舟には近くの村に行く便乗組のラオス人が数人、ちゃっかりと乗り込んでいた。 天気は雨が降ったり、止んだりとコロコロと変わり、そのたびに雨よけのビニールシートを上げたり下げたりしないといけないので面倒くさい。 周辺の風景は同じような山の風景が続いていたが、ムアンゴイに近づくにつれて、樹林のような奇峰がちらほらと姿をあらわしはじめた。
便乗組を降ろしたときに一度エンジンが止まってしまい、その時は3人がかりでエンジンを再スタートさせていた。 なんとも不安定なエンジンだと思っていたら、案の定、川のど真ん中でエンジンが止まってしまった。 突然舟をUターンさせ何かを取ろうと川を逆走しようとしたときにぷっつりとエンジンが止まってしまい、 それっきり動かなくなってしまった。後で分かったことだが、どうやらこの時オールを落としてしまったらしい。 この舟には船頭の一家が乗り込んでいるらしく、最初は乗客だと思っていたおばさんと子供が、船頭の家族だった。 最初は夫婦でいろいろエンジンを動かそうと頑張っていたが、やがてエンジンを動かすのはあきらめてしまったようで、 竹の棒をオール代わりにして、むなしく舟を漕ぎはじめた。やがて雨も降り出し、状況は最悪、舟の中も何となく沈んだ雰囲気になってきた。 元気なのは子供一人だ。
竹の棒で舟を操って舟を岸につけるのかと思いきや、その気配はまったくなく、船頭の顔からはやる気というモノがまったく 感じられなかった。棒を操る手つきもまるで子供のお遊びのようで、何とかしようという心意気がまったく感じられなかった。
土砂降りの中、舟はただひたすら川の流れのままに時速数キロのスピードでたゆたっていく。 船頭の様子を見ていると、本当にこのままムアンゴイまで行こうとでも思っているようだ。今日中にムアンゴイにたどり着けるのだろうかと、 かなり不安を感じ始めた頃、川の左岸に船着き場が見えてきて、この舟もどうやらそちらの方に向かっているようだ。 ようやく事態が好転してきたと思っていると、そこは素通りし、その少し先に舟をつけ「ここがムアンゴイだ」とさりげなく言った。
こんなに早く着くとは着くとは思っていなかったため、にわかにはその言葉が信じられず、 とにかくずるずるの坂道を登って本当にここがムアンゴイであるのかどうかの確認に走った。さてはチャーター代を値切ったから、 だましてここで降ろさせるつもりなのだろうか、などといろいろ考えてしまった。しかし確かにその坂道の上にはゲストハウスがあり、 そこにいた西洋人旅行者達にも確かめてみると、確かにここがムアンゴイであるらしいことが分かった。
なぜ簡単に信じることが出来なかったかと言うと、持っていたガイドブックによると、 ムアンゴイにはムアンクアからスローボートで約5時間かかると書かれていたのに対し、実際に舟で走ったのは3時間ほどだったからだ。 しかしそのガイドブックにのっているムアンゴイは別のムアンゴイであるらしく、 僕の目指していたムアンゴイはまさに今いるここであるらしかった。西洋人旅行者が持っていた地図を見せてもらうと、 確かにガイドブックとは全然違うところにムアンゴイの名が記されていた。
舟に戻り、荷物を持って再びずるずるの坂道を上がる。船頭さんも手伝って上まで登ってくれた。 優しいいい人だったんだ。疑ったりしてごめんなさい。
ムアンゴイのメインストリート
さて、気を取り直して宿探しである。ムアンゴイは西洋人に人気のある村らしく、村には無数のゲストハウスがあり、 まさに選り取りみどりだ。そのため宿代も安くなり、2軒目にあたってみた宿は1人3000キープ(45円)という格安の値段だった。 部屋は狭かったが、この安さでは文句も言えない。荷物を置いて宿のレストランで食事をし、外をぶらついてみる。ムアンゴイは小さな村で、 ここには市場すらない。道は真っ直ぐに延びたメインストリート一本しかなく、端から端まで歩いてもあっという間に歩ききってしまう。
ムアンゴイには舟でしか来ることが出来ず、そんな秘境的なところが、西洋人旅行者に人気のある秘密なのだろう。 僕も旅人から話を聞いてこの村のことを知ったのだ。
後ろを振り返るとこんな感じ
宿で水浴びをし、久しぶりの洗濯をしたあと、宿のバルコニーで日記を書いていると、 すぐ目の前の広場で子供達が、何かのゲームをして遊びはじめた。はっきりしたルールはよく分からなかったが、 2人1組で2組に分かれ、誰かのかけ声とともに一人ずつ中央まで走ってきて、4人で真ん中に置かれたサンダルを取り囲み、 それぞれフェイクなどをかけながら、隙を見てそのサンダルをつかみ、敵にタッチされずに自分の陣地まで戻れたら ポイントゲットのような遊びだった。雨上がりだったので、地面がよくすべり、みんな結構すっころんだりしてかなり盛り上がっていた。
日も暮れかかった7時頃になると、宿のすぐ近くから発電器の音が聞こえてきて、村に電気がつきはじめた。 ハンドルを手にしたおじさんがタイミング良く、その音のする方から歩いてきたので、おそらくそのおじさんが発電おじさんなのだろう。
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朝5時頃、ニワトリの鳴く声で目を覚まされた。至近距離から容赦なく泣き叫ぶのでうるさくて仕方ない。 まだ起きるには早すぎるので、ニワトリの鳴き声の中もう一眠りする。再び目が覚めたのは朝8時頃だった。
朝飯を食べに外に出てみるが、ぱっと見た感じでは屋台はほとんど出てなさそうな感じだった。 ミニ屋台のようなものはいくつかあって、麺の屋台は2つあった。具は野菜のみで、 その分1杯1000キープ(14.3円)と格安だった。麺はこれまで食べてきたものと少々種類が違っていたが、 素朴な感じで美味しく、スープもハズレはなかった。具のメインは玉子かと思ったらタケノコだった。
宿のレストランでデザート代わりにパンケーキを食べていると雨が激しく降ってきた。本当によく降る。雨は程なくして止んだので、 近くにあるという洞窟に出かけてみることにした。天気は快晴と言えるほどによくなったが、 夜に降った大雨のせいか洞窟への道はドロドロにぬかるんでいた。ビーチサンダルにジーパンという格好で出かけたが、 ビーサンは泥道に弱く、ぴちゃぴちゃと跳ね返るドロしぶきでジーパンはすぐに汚れてしまった。ビーサンで歩くのはあきらめ、 素足で歩くことにするが、久しく泥道など素足で歩いてなかったので、その感触がとても気持ち悪かった。
こんな小さな村から歩いて行ける洞窟なので、当然タダだろうと思っていたが、道の途中におばさん達が二人、 看板の前に座っていて、きっちり2000キープ(約29円)取られてしまった。地元民は1000キープだと書かれていたが、 多分地元民はだれも村な金は払ってないだろう。金を払ったからといって、特にその先の道が良いかといえば、別にそういうわけでもなく、 道は相変わらずの悪路が続いた。道が悪いせいもあったが、洞窟はなかなか遠く、結局宿を出てから1時間半ぐらいかかったような気がする。
洞窟は2つあって、一つは水のわき出るごく小さなもので、もう一つはどれぐらい深いのか分からないが、 奥の方に穴が続いていそうな洞窟だった。残念ながら懐中電灯を持ってくるのを忘れたので、中にはいることは出来なかったが、 あまり入りたいという雰囲気の洞窟でもなかった。
水のわき出ている洞窟の方には先客がいて、地元の女の子達が田んぼから取ってきたタニシやオタマジャクシをその水で洗っていた。 水は冷たかったが、天気がとても良かったのですごく気持ちが良かった。短パンしか持っていなかったので、泳ぐかどうか迷っていたのだが、 あまりに気持ちよさそうだったので、少しだけ泳いでみた。大きな洞窟の方は一部のところで首ぐらいまで水深があり、 ちょうどその底の部分からもりもりと水がわき出ているのが見えた。わきたての水なので透明度は最高、 キラキラと反射する太陽の日差しが爽やかに感じられた。
ムアンゴイでは宿のレストランの居心地が良く、人も良かったので、朝飯以外はすべてここで食事をとっている。 しかしメニューの選択肢が少なく、その上日によって用意できる食材が違うらしく、ブタがある日はブタばかり、 鳥がある日は鳥ばかりすすめてくるので非常に分かりやすい。
夜は10時頃に発電器が止められ、10時に消灯。ちょうど7回鳴けばいいことがあるという、 大トカゲの鳴き声を聞きながら眠りについた。
***
ムアンゴイでは夜が早いので、朝の目覚めが大変良い。朝6時には目がぱっちりとさめてしまう。 朝起きたら通りに出ている露店で麺を食べるのが日課になった。通りに出ている露店は日替わりかと思うほど、 出ている場所が変わっていた。家によって出す日を決めているのだろうか?それでも売り物の内容がそれほど変わるわけではないのだが。
高床式の民家壁は多分竹で編まれたもの
ナムウー川沿いの村
ムアンゴイの村は本当に小さいのでぶらっと村を歩くといっても、ものの10分もあればまわりきってしまう。 どこか村の外に出かけてみようかと思っても、この村の交通手段は舟なので、村のまわりには、まともな道など有りはしない。 後はボーっとのんびり過ごすのがこの村の正しい過ごし方のようだ。ずっとぼんやりしててもつまらないので、 村と滝に行くツアーに参加してみることにした。
朝9時の出発予定時間に一時間遅れてやって来た西洋人10人と一緒に、宿のおじさんが操る舟に乗って川沿いにある別の村に向かった。 ツアーに含まれている村というのは、多分この村なのだろう。わらで葺いた素朴な民家がぽつぽつと点在している。
ツアーで訪れた滝
この村から少年の先導で滝に向かう。滝まではすぐに着くのかと思ったら、結構な悪路を時には田んぼの中に入り、時には小川を上り、 最後には沢を登って約1時間後に目的の滝に到着した。滝は思っていたよりも小さく、ろくに泳ぐこともできないぐらいだった。 それでも滝にあたるの気持ちよく、それにここに至るまでの道のりがよかったので、ここまでやって来た価値は十分あると思った。 10人以上もいたので、まるで日本の温泉のような風情になっていて、滝壺を囲んで西洋人達が座り込んでいる姿は何だかおかしかった。
ムアンゴイに戻り、遅い昼食を食べた後、外の日陰の部分にイスを持ち出して、ムアンゴイの村と山並みの様子をスケッチすることにする。 この周辺には中国の桂林程ではないが、同じような奇峰がボコボコと地面から突き出ている風景が見られる。 この村の通りの向こうにもちょうどそんな奇峰があり、宿のおじさんによると、その奇峰は昔から女性の姿に例えられてきたという。 おじさんは説明してくれるのだが、僕にはどうしてもおじさんの言うようには見えてこないのだった。
夜は宿のおじさんに食事の席に呼ばれ、ニワトリとカオニャオをごちそうになった。おじさんによると明日はこの村で 「大きな」マーケットがあって、近くの村からモン族がたくさんやって来るという。明日は出発しようと思っていたが、 「マーケット」と「モン族」という言葉に心が揺らぎ、明日もう一泊してみようかという気になった。今夜は星がとてもきれいだ。 明日もこの星空が見れるならもう一泊してもいいかなと思った。さて明日の天気はどうかな?
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朝6時、ムアンゴイのビッグマーケットの実態を確かめるため、歯を磨きに下に降りるついでに通りの様子を見てみるが、 露店は3〜4つぐらいしか宿の近くには出ておらず、この通りにずらっと露店が立ち並ぶ様子を期待していた僕は少々拍子抜けしてしまった。 どうやらマーケットの中心は船着き場の近くのようで、その辺りはなかなかのにぎわいを見せているようだ。マーケットには お菓子やデザートも出ているようで、デザートの袋を手にしたおばさんが市場の方から歩いてくるのを見かけた。
マーケットは確かにこの村にしては大きなマーケットだったが、それでも十分小さいものだった。 モン族の人もたくさんやってきているらしいが、だれ一人民族衣装を着ている人がいないので、誰がモン族なんか分かるものではなかった。 マーケットの中心は日用雑貨で、他の町で見かけたような品揃えがここでも見られた。ムアンゴイでは10日に一度しか市が立たないらしく、 みな結構買い込んでいた。子供達にとっては10日に一度のお祭りといったところか。
このマーケットのために滞在を延期したのだが、結局のところ30分もあれば十分見てまわることが出来た。 まだ朝だったが今日も天気が良く、早くも猛暑のきざしがあった。
村でやることもなくなったので、今日は一日のんびりと過ごすことにした。というよりも昼間は本当に暑く、 まったく動く気が起こらないのである。この村には昼間は電気がないので、ファンもなく、 どうにもこうにもこの暑さから逃れるすべはなさそうだった。時計についている温度計で測ってみると36度あった。 暑いわけだ。2度ほど村の中をぶらついてみたが、通りを歩いている人の姿はなく、みんな軒下の影で休んでいたり、 家の中でごろごろ寝たりしていた。やっぱりみんな暑いときは暑いのだ。
日中はとても暑いが、日が暮れかけると一気に気温が下がり、過ごしやすい気候になる。靴下を履いていないと、 足が冷えて厳しいくらいだ。
夜7時前、いつものように宿のおじさんがジェネレーターを始動させに行く。しかしどうやら調子が悪いようで、 なかなか電気がつかない。整備道具らしきものを持って、またジェネレーターのほうへ向かうが、どうやらうまく行かないらしい。
日も暮れ、辺りも暗くなってくるとおばさんがロウソクを持ってきてくれた。レストランにもロウソクが何体も灯っていて、 これはこれでなかなかよい雰囲気だった。おじさんは困ったように「エレクトロニック、ノーグーッド。アイ ドン ノー」 と繰り返すばかりで、それもなんだかとてもおかしかった。おじさんはゴリラみたいな雰囲気の人だけど、やさしくていい人だ。 何もしない一日でも何か一つはアクシデントが起こるのがラオスでの旅のようだ。それらはいつも物質の乏しさによっているのだが、 決して不快には感じなかった。そんなにモノはなくても十分幸せに生きていくことは出来そうだと思わせてくれる国だった。
ムアンゴイ最後の夜はバルコニーから満天の星空を眺めることが出来た。やけに近く大きく感じる北斗七星を見ながら、 今日も夜10時頃に眠りについた。ああ、なんて健康的な生活なんだろう。