ホーム>旅行記>02.東南アジア前編(アジア旅行2001-2002)
朝5:30、まだ眠たい目をこすりながら、無理やり起床する。出発の準備をし、キャピトルのレストランで朝食を食べながらホーチミン行きのバスの出発を待つ。残りわずかのカンボジア通貨をオムレツとコーヒーにかえ、カンボジア・リアルはもうジュース一本買えないぐらいにまで少なくすることが出来た。
プノンペンからホーチミンに向かう旅行者は多いらしく、2台のミニバスに分乗して出発。プノンペンからベトナムのホーチミンまでは国際バスが運行されている。プノンペンのキャピトル・ホテルからホーチミンのシン・カフェまで行ってくれるので非常に便利である。
バスを修理する運転手さん
昼食まではバスは順調に走ってくれていたが、昼食後出発すると、程なくしてバスが止まってしまった。どうやらバスの故障のようである。車のことはよく分からないが、話を聞いていると、どうやらシャフトが折れてしまったようだ。なんとなくとても重要な部品のような気がするのだが、一体どうするのだろうか。
もう一台のバスは先を走っていたので気づいた様子もなく、どんどん視界から遠ざかっていく。運転手が修理にとりかかるが、部品がないのか、かなり手間取っている様子だ。みなバスから降り、修理するのを見たり、あたりを散歩したりしながら、バスの復旧を待った。
一時間ほどして奇跡的(?)にバスが直り、出発の際には、みなで運転手に拍手を送った。バスは再びガタガタの道を走り始めるが、あまりにゆれるので、またバスが壊れたりしないかと肝を冷やした。
1時間ほどしてバスは無事国境に到着。カンボジア出国の手続きをすませ、炎天下の道をベトナムのイミグレーションへと向かう。カンボジアとベトナムのイミグレーションはすぐ近くにあり、歩いて行くことができる。ずっと前に到着したはずのもう一台のバスの乗客がまだベトナムのイミグレーションにいたので驚いた。ベトナムの入国手続きも終わり、無事ベトナムに入国。バスはここでベトナムの有名なシンカフェのバスに変わる。
国境からホーチミンまでは何事もなく、無事走り抜けてくれた。
ホーチミンに到着して、まず驚いたのが、道を走っているバイクの多さである。車の数は少ないが、その代わり、みなバイクや自転車に乗るため、その数は尋常ではなかった。まるでバイクの海である。バスの窓からそのバイクの海を見ながら、「えらいところに来てしまった」などと考えていた。
バイクに乗る人の多いホーチミン
ホーチミンは、かつてはサイゴンと呼ばれていたが、1975年のサイゴン解放の際にホーチミンと改名された。
ホーチミンを実際に訪れるまでは、せいぜいカンボジアのプノンペンと同じ程度の町なのかと思っていたが、そんなものではなかった。ホーチミンは立派な都市であった。それもそのはずで、当時の人口で、プノンペンが約80万人であるのに対し、ホーチミンは約480万人であった。
ホーチミンでは、安宿街であるフォングーラオ通り周辺にあるHuong Hotelに1泊3ドルでに泊まった。深夜の街に散歩に出てみると、昼間のホーチミンとはうって変わって、自転車やバイクの交通量が減り、オレンジ色の街頭が静かに街を照らしていた。
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ホーチミンには東南アジア有数の巨大チャイナタウンであるチョロン地区がある。チョロン地区は街の中心から西に5キロほどの位置にあるので歩いて行ってみた。
フランスの都市計画のもとに作られたらしいホーチミンの街は確かにアイストップに象徴的な建物を設けたり、記念碑などを中心に道路を放射状につくるなど、随所にそれらしい手の跡が感じられる。
途中、コーヒー屋が路上に出ていたので、おいしいという噂のベトナムコーヒーをいただくことにした。なかなか濃厚で、東南アジアの他の国の例にもれず、このコーヒーもまた甘かったがおいしかった。コーヒーと一緒にお茶(このときはジャスミンティーだった)を出すのがこちらの飲み方らしい。そういえばラオスでラオコーヒーを飲んだときもお茶が出てきたのを思い出した。
チョロンはチャイナタウンとは言っても、バンコクのそれとはずいぶん様子が違って、いかにも中華というチャイナタウンを想像していると肩すかしをくらってしまう。もともとベトナムには漢字表記が多いので、チャイナタウンに来ても、そこがチャイナタウンだとは思えないほど、他の所と同じような感じだ。
チャイナタウン最大のビンタイ市場へ行ってみたが、ビンタイ市場も中華街にあるからといって、特に他の市場と違うわけではなく、普通の市場という印象を受けた。市場そのものよりも、市場の周辺の方がぶらつくには面白かった。
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ホーチミンではいくつかのツアーに参加してみた。ベトナムには、シンカフェなどの有名な旅行代理店があり、シンカフェが提供するツアーやベトナム縦断バスなどのサービスはかなり便利なものである。
一つはホーチミン郊外にあるクチトンネルとカオダイ教の総本山のあるタイニンを訪れるツアーであり、もう一つはメコンデルタを訪れるツアーである。
クチトンネルへの入り口の一つ
クチトンネルとタイニンへのツアーは、クチトンネルが見てみたかったので、一人で参加した。クチトンネルは、ベトナム戦争中に解放勢力の拠点となった地下トンネルであり、その総延長はなんと250km、一時期はそこで1万人もの人々が生活していたという。トンネルは三層からなっており、その中には病院、調理場、食堂や司令室などもあり、建築的な観点から興味があった。
しかし、トンネルに入ると興味などという甘っちょろい気分は消え失せてしまった。とにかく狭く息苦しいのである。人間のための居住性などはまったく無視されており、ただとにかく戦争だけが目的に作られた空間であった。
今は観光用に入れる部分だけ電灯が灯されており、内部は明るいが、おそらく当時はもっと薄暗かったのだろう。当時の生活を想像しただけでぞっとする、というよりも想像を絶すると言った方が正しいようだ。正常な人間がこのような場所に住もうと思うわけもなく、やはり戦争が人を狂わせるのだとつくづく思った。
メコンデルタツアーは、この旅の途中、何度も渡ってきたメコン川の最終地点をこの目で見ておきたいと思って参加することにした。メコンデルタツアーにはプノンペンからホーチミンまでのバスで一緒だった人たちと参加した。
メコンデルタツアーは、ミトー方面とビンロン方面の2つがあるが、水上マーケットをメインとしているビンロン方面に行くことにした。メコン川まではバスで行き、そこからは船に乗って移動する。最初は細い運河から始まり、ライスペーパーやポン菓子のようなお菓子を作っている家を見学してから、水上マーケットを見学に行く。
運河に面して建てられた住居
運河沿いには、ここでも水辺で生活する人々の水と密着した生活があった。
水上マーケットは想像していたものとは随分と異なり、最初はそれが水上マーケットであるとは気づかなかったくらいである。自分たちの乗っている舟よりも大型の船が運河の中央にたくさん浮かんでいて、よく見れば確かにマーケットらしく物の売買が行われているようである。見た感じはマーケットというよりはボートハウスの集落のようでそれはそれで面白かった。
水上マーケット
最後にメコン川を横切ってフルーツガーデンを見に行く。これまでの運河とは異なり、さすがにメコン川は大きかった。だだっ広いメコン川と淡々としたボートのエンジン音でついうとうととしてしまうが、それもまた気持ちの良いひとときだった。
夕暮れ時のメコン川は、やはりどこで見てもいいものだ。中国に始まり、ラオス、カンボジア、ベトナムと見続けてきたメコン川ともとりあえずはこれでさよならである。
雄大なメコン川の流れ