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ホーム旅行記>02.東南アジア前編(アジア旅行2001-2002)

02.東南アジア前編

4.ロングハウスを目指して(ラオス) <2001年6月22日〜6月26日:→ヴァンヴィエン→ヴィエンチャン→サラバン→チョンメ(タイ)>

<ヴァンヴィエン>ヴィエンチャンサラバンチョンメ(タイ)

朝から雨だ。

最近、移動日は雨に降られることが多いような気がする。考えようによっては滞在中に雨が降るよりも移動中に雨が降って くれた方がまだましかもしれない。しかし雨が降っている時に重たいバックパックを背負って移動するのはだるいのだ。 幸い宿を出るときには雨は止んでくれた。

ルアンパバーンからは一気にビエンチャンを目指しても良かったが、途中ヴァンヴィエンという町で一泊おくことにする。 ヴァンヴィエンへのバスはルアンパバーンの南バスターミナルから出発する。歩ける距離ではないので、 トゥクトゥクを利用することになる。宿の人が今なら8時半のバスに間に合うというので、急いで行ってみるがどこにも8時半に バスが出発する気配はなかった。人に聞いてみると、バスの出発はどうやら10時のようである。

まだまだ時間があるので、バスターミナルの食堂で朝飯を食べることにする。注文し、料理が運ばれてくるのを待っていると 「旅行人ノート」(ガイドブック)を小脇に抱えた小柄な日本人女性が、僕に対して何故か英語で 「Can I have a menu?(メニュー下さい)」と尋ねてきた。どうやら僕のことを店の人(つまりラオス人か?)と勘違いしてしまったようだ。

確かにいつの間にか僕の肌もすっかり黒く日焼けしてしまったが、まだそれほど現地人化はしていないと思っていただけに 少しショックだった。

彼女は化粧の濃い松野明美のような感じの女性で、もうすでに5ヶ月の旅をしていて、もう間もなく バンコクからのフライトで日本に帰るらしい。僕のあこがれの地の一つであるパキスタンのフンザ (「風の谷のナウシカ」の風の谷のモデルになったと言われている)にも行ってきて、めちゃくちゃ良かったと絶賛していた。 ちょうど僕とは逆のルートで東南アジアの4ヶ国をまわっているようで、ベトナムは最悪と言っていた。 なかなかベトナムをいいという人に出会わない。

バスターミナルにはもう一人日本人の男性がいた。彼はわずか1ヶ月で中国の上海から僕と似たようなルートを通って、 ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムとまわる予定だそうだ。今日は一気にビエンチャンまで行ってしまうそうだ。 東南アジアの4ヶ国をまわるだけでも1ヶ月では短いと思うが、彼はさらに上海から南下してきて、そのルートをまわろうというのだ。 あまりに急ぎすぎる旅だとは思ったが、限られた時間の中で出来るだけ多くの国を見てみたいという彼の気持ちもよく分かる。 まあ、本人がそれで本当に納得しているのなら多分それでいいのだろう。

10時ほぼきっかりにバスは出発。驚いたことに乗客の実に98%ぐらいはツーリストで占められていた。 別にツーリストバスではなく、普通のローカルバスなのだが、こんなローカルバスは初めて乗った。 そのうちのほとんどは西洋人であり、まるで西洋人の修学旅行といった雰囲気だ。さすがにルアンパバーンとヴァンヴィエンという、 ラオスの2大観光地を結ぶ路線である。

トラックとは違い、バスはやはり快適だった。ルアンパバーンからヴァンヴィエンに向かう道は、 意外に高い峠を越えて行く山道だった。道のりも半ばを過ぎた辺りで、風景が段々と桂林やムアンゴイのような奇岩まじりの風景に変わってきた。 もうすぐかな、もうすぐかなと思ってもなかなか着かないヴァンヴィエンには、やはりガイドブックに書かれているとおり、 きっちり6時間かかって到着した。

道中やんでいた雨が、到着間際になってまた降り出してきた。やけにだだっ広い広場のようなところに降ろされて、 「滑走路みたいやな」と思っていたら、それがヴァンヴィエンの見所(?)の一つである米軍の飛行場跡であったらしい。

ガイドブックの一番上に載っていたゲストハウスに部屋をとり、遅い昼飯を食べてから宿に戻ってシャワーを浴びた。 久しぶりにホットシャワーらしいホットシャワーを浴びることができた。水で薄めなくてはならないほど熱いお湯が出るのは 実に中国の昆明以来のことだ。夜は安めのツーリストレストランで食事をとった。味はぼちぼち。 カラオケバーでもないのに何故かひたすらカラオケが流れ続けていた。

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ヴァンヴィエン<ヴィエンチャン>サラバンチョンメ(タイ)

ヴァンヴィエンからヴィエンチャンまでは約4時間の道のりである。バスは昨日と同じく飛行場跡から出発する。 残念ながら今日はバスではなく、いつもどおりの乗り合いトラックになってしまった。 ルアンパバーン−ヴァンヴィエンのバスとはうって変わって、このトラックには地元民しか乗っていなかった。 あの旅行者達は一体どこへ行ってしまったのか?

ヴィエンチャンには昼の2時前に到着。ヴィエンチャンは宿が高く、見つかった宿もそれほどきれいなものではなかったが、 これまでのラオスの宿と比べると十分高かった。

以前に一度、ヴィエンチャンは訪れたことがある。僕の初めての海外旅行となるタイ旅行のついでに、 一日だけタイの国境の町ノンカイからラオスのヴィエンチャンに入国したのだった。大学の仲間たちとの旅行だったが、 みなほとんど海外旅行に関しては無知だったため、当時はラオスに入るのにビザというものが必要だということすら知らなかった。 ノービザで国境に向かった僕たちは当然の事ながら国境で追い返されたが、幸いノンカイではビザの発給のサービスをやっている エージェンシーがたくさんあったため、翌日のヴィザ発給を待って無事ラオスに入国することができた。 この旅の間、舞い上がりっぱなしだったため、ヴィエンチャンの町並みについて記憶があるのは、 パリの凱旋門によく似ているアヌサワリーぐらいのもので、それ以外はほとんど記憶になかった。

ラオスのインターネットは、首都のヴィエンチャンが一番安く、実に3週間ぶりにメールをチェックすることができた。 うれしいことにデジカメで撮った姪の写真が送られてきていた。出発するころに生まれた姪は、ずいぶん大きくなったみたいで、 少し言葉も発するようだ。旅先で受け取る思わぬ写真のプレゼントがうれしかった。ラオスのような東南アジアの国のインターネットカフェで、 日本からのデジカメの写真が受け取れるなんて、本当に世の中便利になったものである。もうひとつうれしかったニュースが、 パキスタンビザが不要になったというニュースだった。昆明で知り合った旅人がパキスタンに向かうというので、 パキスタンビザの情報をお願いしていたところだったのだ。流動的なビザの情報をリアルタイムで受け取ることができるのも インターネットならではだろう。たまっていたメールを読み、返事を書くだけで2時間ほどもかかってしまった。 このネットカフェは日本語の読み書きが出来、エアコンもついている上、コーヒー・紅茶が飲み放題といういかしたカフェであった。

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ヴァンヴィエンヴィエンチャン<サラバン>チョンメ(タイ)

ヴィエンチャンからは一気に南下し、ラオス南部にあるというロングハウスを目指す。 ヴィエンチャンからパクセまでは約14時間。到着時刻のことを考えて昼の3時ごろ出発のバスを選ぶことにする。

3時発のパクセ行きのバスはほぼ満員で、最後部の座席を残すのみだった。しかし、最後部の座席は詰め込まれやすく、 大の男が6人、狭苦しく座るはめになってしまった。しかも、走り出してわかったことだったが、僕の座った一番端っこの席は、 天井に溜まった雨水がちょうどまとめてしたたり落ちるポイントであったらしく、僕の肩やズボンは、 バスの汚れの混じった雨水にぬれるはめになってしまった。こんな席で14時間も耐えなければいけないのかと思うとぞっとした。

ヴィエンチャンからの道は平野部の、舗装された快適な道だった。周辺には田畑が広がり、遠くの方に山が見えた。 日が落ち、あたりが暗くなると、またバケツをひっくり返したような激しい雨が降り始めた。このバスは天井からだけでなく、 横からも水が漏れているようだった。「もうどうでもいいや」といった気分になり、ぬれるにまかせるしかない状況になってしまった。 ちょうど晩飯時だったが、晩飯を食べた食堂でも、雨が降りつけるトタン屋根の音がうるさくて話し声も聞き取りにくいほどだった。 波型のトタン屋根からは、滝のような勢いで水が落ち、食堂の前には見る間に深い水溜りが出来てしまった。

さすがに満員の乗客全員がパクセに行くというわけではなく、夜もふけるとともに乗客の数も減り、明け方にはずいぶん楽になった。

パクセには予想よりもずいぶん遅く、朝6時半ごろに到着した。結局14時間のところが15時間半ほどかかったことになる。 パクセからはそのまま東北方向に向かい、サラバンという町を目指すことにする。このサラバン近郊の村でロングハウスを見る ことが出来るという情報があったからだ。

バスターミナルを移動し、朝9時発のサラバン行きのバスに乗り込む。隣には小柄で可愛らしいおばあちゃんが乗り込んできた。 今日は2人がけの席だったので、小柄なおばあちゃんと2人なら余裕かなと思っていると、人のいいおばあちゃんは、 立っている人がいると真っ先に席をつめ「ここに座りなさい」と親切にも声をかけてあげていた。まあ、親切なのはいいことだと思いながらも、 今日もまたぎゅうぎゅう詰めになってしまった僕は思わず苦笑いしてしまう。

どこからかヒヨコの鳴き声が聞こえてくると思ったら、この隣のおばあちゃんがかばんの中に入れて持ち込んだヒヨコの鳴き声であった。 おばあちゃんはこのヒヨコがかわいくて仕方ないらしく、いろんな人にヒヨコを見せては喜んでいた。そこらじゅうにニワトリが駆け回って いるようなラオスでもヒヨコはやはりかわいいのだろうか。バスが止まるたびにおばあちゃんはどこかに出て行ってしまうので、 そのたびに僕がヒヨコの見張り番をさせられた。そのうちおばあちゃんもヒヨコを人に見せるのに飽きてしまったらしく、 ヒヨコの入ったかばんの口をガッチリとひもでしばってしまった。

パクセより先の情報は持ち合わせていないので、サラバンは僕にとっては未知の世界だ。 いつもながらの期待と不安が入り混じった不思議な気持ちになる。地図で見た距離から、サラバンまでは約4時間と推測したが、 ずばりその通りで、昼過ぎには無事サラバンに到着した。

ロングハウスのある村は、情報によるとトゥムラン(Tumlan)という村らしい。 あわよくばこのままトゥムランまで行けないだろうかと思い、バスターミナルでトゥムラン、 トゥムランと連呼していると乗り合いのトゥクトゥクの運転手が、「うむ」とうなずき、「トゥムランだ」と言ってくれるではないか。 運転手の相棒の男の子が「タラート、タラート(市場、市場)」と連呼しているのがかなり気になるが、 とにかく行って見ないことには分からないので、そのトゥクトゥクに乗り込むことにする。しばらく走るとその男の子が 「どこに行きたいんだ?」と聞いてきるので「だからトゥムランだって」と言うと、「分からん」といった感じで首をひねるので ますます怪しくなってきた。「トゥムラン」と「タラート」、いくら聞いても聞き間違えるようには思えないのだが、 連れてこられた先はやはりタラート(市場)だった。

サラバンまで来れば、トゥムランと言えばすぐに通じると思っていたが、 どうやらトゥムランでは間単に通じないということがこれで分かった。

タラートの近くにゲストハウスがあったので、そこのおじさんにトゥムランについて聞いてみると、 ほんのわずかながら英語が通じ、どうやら今日はトゥムラン行きのバスはないこと、 明日の朝7時にトゥムラン行きのバスが出ることが分かった。

今日はもうトゥムランに行けない事が分かったので、今日はそのゲストハウスに泊まることにした。 部屋に荷物を置き、ほっと一息ついてから荷物を解こうとすると、そこで初めてバックパックの様子が少しおかしいことに気づいた。 かばんの横ポケットに入っていたはずの物が、横のホックのところにとめられており、前の二つのメインのチャックも、 とめた位置とは明らかに違う位置でとまっていた。どうやらパクセからサラバンまでのバスでやられたようである。 そういえば荷物番が屋根の上に乗ったまま走っていたようだ。幸いメインのチャックはガッチリと南京錠をかけていたので、 被害はなかったが、とんだ荷物番である。

何もないサラバンの町並み 何もないサラバンの町並み

部屋に荷物を置き、サラバンの町をぶらぶらと歩いてみるが、あまりにも何もないので、路上の散髪屋で散髪をすることにした。 髪がうっとうしいぐらいに長くなっていたので、思い切ってスポーツ刈りぐらいに短くしてみようとおじさんに説明するが、 なかなか意図が通じないようだ。誰かそのような髪型の人が通りかかればよかったのだが、そういうときに限って誰も通らないものだ。 「とにかくやるぞ!」といった勢いで、おじさんがやる気をみせたので、どんな髪型になるか分からなかったが、 とにかくおじさんに任せることにした。どうやら横も後ろも短くしてくれというのを、刈り上げのことと解釈したらしく、 出来上がってみればいつもの自分の髪型になっていた。これでたったの75円。安いもんだ。

宿の隣の食堂で夕食のチャーハンを食べたが、その食堂のおやじが少し英語がしゃべれたので、 またトゥムランに関する情報を仕入れようと思ったが、トゥムランまで50kmという情報は、 宿のおじさんの情報と完全に一致するが、このおやじはトゥムランまでのバスはないと言っている。 バスがないこともラオスだけに十分考えられる。万が一バスがなければ、他の方法を考えなくてはと思った。

ふと目が覚めたのが朝の5時、まだ寝れると思ったのが間違いだった。次に目が覚めたのがなんと6時半。バスの出発は7時である。 大慌てで荷物をまとめ宿を後にする。表の通りを歩いていると、昨日はたくさんいて客引きまでしていたトゥクトゥクが、 こんな急いでいる時に限って一台も見当たらない。歩いていてはとうてい間に合わないが、とにかくバスターミナル方面に向かうことにする。

国道(?)まで出てようやくトゥクトゥクを発見、すかさず乗り込むがトゥクトゥクはバスターミナルとは逆の方向へ走り出し、 ちょっとあせってしまう。どうやらもう少し客を集めたいらしい。数人集まったところで、運転手に急いでほしいと伝え、 バスターミナルに向かってもらう。なんとか7時前にバスターミナルに到着することが出来た。

バスターミナルでトゥムラン行きのバスはどれか聞いてみるが、「ない」という返事があっさり返ってきてしまう。  「ん?ないの???」 バスターミナルのタイムテーブルにはよく見ると「トゥムラン行き2:00」と書かれている。しかしどうも様子がおかしい。 「2時のトゥムラン行きはあるの?」と聞いてみるが、「ない、ない。ないといったらない。」と言われてしまった。 どうやら食堂のおやじの言葉が正しかったようである。

「じゃあいったいどうすればいいだ?」と、しばし呆然と立ち尽くしていたが、 偶然にもまったく旅行者を見かけなかったサラバンにおいて、このバスターミナルに一人のカナダ人女性がいたので、 ロングハウスの情報を何か持ってないか聞いてみた。彼女はロンリープラネットのラオス版を持っていたので、 少し見せてもらうが、そこにはトゥムランへの行き方の情報は載っていなかった。しかし、トゥムランの村がサラバンの北、 約50kmの国道23号沿いにあるということが分かった。つまり、23号線さえ見つかれば、何か足があればたどりつけるというわけだ。 幸いにも彼女はフランス語をしゃべることが出来、ラオスにはフランス語をしゃべれる人がたまにいるので、 現地の人にもトゥムランまでの様子を聞いてもらったが、どうやらバスがないのは雨季のためであるらしい。

そうなのだ。ラオス北部ではそれほど雨は降っていたなかったが、ラオス南部では連日のように激しい雨が降り続いていた。 ラオスは南北に長い国なので、気候も北と南では少し異なるのだろう。なんでも、トゥムランに行くには途中、 川を渡らなくてはならないらしく、一応バイクなどを渡し舟に乗せて渡ることは出来るらしいが、ここはラオスだ、 そんなに都合よく渡し舟があるとは思えない。道はずぶずぶの悪路の上に川を渡らなくてはならない、 そんな道が50kmも続くのだ。日本の道で50kmと言えばたいした距離でもないが、この状況では、 その50kmは果てしなく遠い距離のように思えた。

自転車やバイクレンタルを探そうかとも思ったが、ラオスに滞在する残り日数も考えると、 あまりにハードな強行軍であると思えてきたので、結局トゥムラン行きは泣く泣く見送ることにした。 ロングハウスは僕にとってラオス最後で最大の目玉だったのに、くやしすぎる。

しかし、雨季の旅にトラブルはつきものだ。彼女が聞いた情報では、乾季にはトゥムランのカタン(Katang) 族の人たちがサラバンまでやってきて、布や織物を売りにくるらしい。雨季ではカタン族の人たちもサラバンにはやってこないのだ。 雨季にトゥムランに行くのはとても難しいことだと言っていた。

さんざん迷いながらも、行き先を変更し、パクセに戻ることにした。カナダ人の彼女は、これからセコンというところに向かい、 カンボジアの国境目指して南下するらしい。ラオス−カンボジア間の陸路国境越えは、現在第三国人には認められていないが、 時に入国に成功する人もいるといううわさもあり、彼女もそれに挑戦してみると言っていた。

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ヴァンヴィエンヴィエンチャンサラバン<チョンメ(タイ)>

次のパクセ行きのバスは朝10時。もしかしたら今日中にタイへ渡れるかもしれない。何もなく順調に行けば、 おそらく可能なことだろう。パクセ行きのトラックバスでは、足元で足を縛られたアヒルやニワトリが「グエッ、グエッ」と鳴いていて、 時々僕の足元であばれたり、僕の足をくちばしでつついたりしていたが、予想よりも早く約3時間でパクセに到着した。

ガイドブックによると、パクセからタイに向かうのは意外とめんどくさくて、まずメコン川を舟でわたり、 対岸のムアンカオという村から国境の村ワンタオまでバスで向かうことになる。しかし、ここ数年でメコン川にかかる橋が完成したようで、 状況はかなり違っていた。現在ではパクセのバスターミナルからムアンカオの手前までトゥクトゥクで行き、 そこから舟でメコン川を渡るのではなくて、ダイレクトでワンタオまで乗り合いトラックで行けるようになっていた。 バスの姿は見かけなかったので、あるのかどうか不明だが、まずここに来るとタクシーの客引きがあるので要注意だ。 当然の事ながらトラックの方が断然安い。

パクセからワンタオまでも問題なく到着。国境の手前のみやげ物屋の間を通り抜けてイミグレへ。 手持ちのキープをすべてバーツに換え、いざタイへ。

タイ側の国境はすぐそこで、イミグレに至るまでの間にもお土産屋などがぎっしりと並んでいた。問題なく無事国境を通過。まだ3時半だ。

ここタイ側の国境の町チョンメからバンコクまでは夜行バスが出ていて、4時発の2等車と5時発の1等車の2つがあった。 もうひとつタイ語表記のみのずいぶん安いバスがあったが、それは多分ノンエアコンバスなのだろう。 2等車はエアコンがないのかと思っていたら、そうではなく、トイレが付いていないことだけだった。 トイレぐらいなくてもいいので、少しでも安い2等車を選ぶことにした。

ちょっと待っている間にバスがやってきたので、それに乗り込む。今日の朝までサラバンにいて、 トゥムランに行こうと思っていたのが信じられないぐらいスムーズに今日の移動は進んだ。 バスはさすがにタイのバスで、2等車といえどもラオスのVIP(?)バスよりはるかによいものだった。 道路状態もよく、バスは驚くほどの快速で、普通の乗用車やトラックを追い抜いていく。

バスの車窓から眺めているだけでも、タイの発展ぶりがよく分かる。特にラオスという全国的に田舎のような国から 入った場合はなおさらだ。どんな地方の町でも電気があふれ、建物も立派なものが建てられ、コンビニや大きなショッピングセンター らしきものが見られた。バスターミナルも立派なものが多く、コンビニなどが併設されていて、夜中まで営業している。 まるで日本の小規模なドライブインのようだ。

ラオスからタイへ、これほどの激変ぶりを見せられてしまうと、あらためて国境という目に見えない線の存在を考えさせれる。 目には見えないが明らかに存在しているのだ。これからいくつも陸路の国境を越えていく予定だが、 そのたびにきっとこのような国境というものの存在について考えさせられるのだろう。

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