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02.東南アジア前編

12.サパ <2001年7月26日〜7月31日:サパ>

サパ

サパの町並み サパの町並み

サパは、中国との国境にほど近い、ベトナム北部の小さな町である。少数民族に出会うことの出来る町なので、多くの観光客が訪れるようである。ハノイから乗り込んだミニバスも西洋人旅行者でいっぱいだった。

サパに向かう途中、中国との国境であるラオカイを通ることになる。ラオカイから川の向こうに「中国河口」という文字が見えた時は、なんだかとてもなつかしくて嬉しかった。もうすぐ中国だと思うと、ラオカイで途中下車して、そのまま中国へ向かいたいくらいだった。

ラオカイまでの道中でバスから見えた集落の風景がとても美しかった。高床にかやぶき屋根の住居の様子が美しかった。これまでにアジアで見た住居とは少し様子が違っていて、窓の付き方や手すりが変わっていた。
サパに近づくにつれて民族衣装を着た人の姿が目立つようになる。サパは町だったが、サパに着いても民族衣装を着た女性の姿が多く見られた。

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サパに着いたら周辺の村を訪ね歩いてみようと思っていたが、あいにくの雨続きで小さな町の中をぶらぶらと散歩したりして過ごしていた。町の中でもそこら中にごく普通に民族衣装を着た人々の姿が見られる。これまで見てきたところでは男性は普通の服を着ていることが多かったが、ここサパでは、男性も民族衣装を着ていた。モン族が多く、彼らの民族衣装には、立派な襟がついているのが特徴的だった。
子供も大人も土産物売りに励んでいたが、それは女性だけで、男性の土産物売りはいなかった。その代わり、男はバイクタクシーをやっているものが少数ながらいた。バイクを買えるほどの現金収入があるということだろうか。

サパにいる少数民族 サパにいる少数民族

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サパ滞在の最後の日に一番近くにあるというカットカット村というところへ行くことにした。しかし、カットカットの見所のメインは滝のようであり、村らしい村があるかといえば、数軒の家がちょこちょことあるだけで、とても村といった感じではなかった。

これでは、とてもあきらめきれないので、どろどろで滑りやすい道をもう少し先まで行ってみることにした。モン族の人たちが、そっちの方へ多数歩いて行っているからで、きっと村があるに違いないと思ったからだ。

しばらくすると道のぬかるみはましになって、周辺の風景ものどかなものになってきた。草原と田んぼが美しく、晴れ間がのぞいた時に、草がきらきらと風になびいて光るのがとても美しかった。その道を1時間ほど歩いていくと、やはりそこに村はあった。しかも何やら家の中から太鼓をたたく音と、それにあわせて合唱する声が聞こえてきた。何かまつりごとでも執り行われているのだろうか。声の聞こえてくる家の屋根からは、もうもうと煙が立ちこめている。中で何かを燃やしているようだ。中に入ってみたかったが、それが許されるような雰囲気ではなかった。

屋根から煙が立ち上る民家 屋根から煙が立ち上る民家

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ひどい下痢のため、ラオカイへの出発は延期することになってしまった。市場でバナナを買い、3食全てをバナナですませ、ひたすら下痢が治るのを待った。同じ宿に滞在している他の日本人は3人で近くの村であるラオチャイ、ターバンまでトレッキングに行ってきたらしい。報告を聞いていると、とても良かったらしく、せっかく滞在が延びたので、また、むらむらと村に行きたくなってきた。明日にでも体調が良くなればラオチャイに行ってみようと心に誓った。

バナナのおかげか、一日にして下痢が治り、早速モン族の集落ラオチャイへ行くことにした。ラオチャイはサパから東南方向に約2時間程歩いた所にあるらしい。宿の情報ノートにも書かれていたが、ラオチャイ付近は棚田の風景が一生忘れられないくらいすばらしいらしい。

しばらく歩いていると、ある地点で大展望が開けた。谷あいに広がる棚田と、その中をくねるように流れる川、そしてなだらかに高度を上げていく山の風景がまるで絵に描いたようにとても美しかった。
ずっと向こうの方まで視界がのびていて、遠くの方がかすんでおり、その向こうにも山に向かって道が延びているのがかすかに見える。ずっと向こうの方まで行ってみたいと思ったが、もちろん歩いて行ける距離ではなかった。

雄大なサパ周辺の谷あいの風景 雄大なサパ周辺の谷あいの風景

ラオチャイは数戸、十数戸の家屋が点在する散居集落のようである。屋根はトタン葺きが多いが、もともとは茅葺きや板葺きのようである。すぐ隣にはターバンというダイ族の村があるようだが、それぞれが散居集落のようであり、また遠目には住居もほとんど同じような感じに見えるので、一体どこに境界があるのかはよく分からない。

ラオチャイは谷の向こう側にあるので、一旦川まで降りてから川を渡り、また少し上ることになる。下りの道で村の子供たちが杖を持って寄ってきて、しきりに道案内をしようとする。しかもラオチャイではなく、ターバンに行かせたがるので、多分ターバンの子供たちなのだろう。特に道案内の必要もないくらいラオチャイには簡単に行けた。

谷の向こう側にあるラオチャイ 谷の向こう側にあるラオチャイ

サパ周辺の村は完全に観光客なれしているので、村に来たというよりも、民族村というテーマパークを訪れているような気分になってしまう。村ではアクセサリーを持った女の子たちがアクセサリーを売りに来る。ラオチャイをぶらぶらと見てまわりながらターバンを目指すことにする。昨日聞いた話では、ラオチャイからターバンまでは柵を越え、あぜ道を通るような道なき道を行ってたどり着くことが出来るというので、僕も田んぼを横切るルートを探すことにした。
まさに道などなかったので、時々村の人に道を教えてもらい、人の家の敷地の中を通り、何とか進むことができた。最大の難関は番犬(つながれていない)のいる家を通り抜けるところで、家の人がいない様子だったので、隣人の「大丈夫だ、行け」という言葉を信じて、何とか無事通過することが出来た。

集落の中の様子 集落の中の様子

途中、ラオチャイかターバンかよく分からない境目あたりのところでスケッチをしていると、スケッチをしている家の中から驚いたことに日本人の女の人が出てきた。最初「日本人ですか?」と聞かれ、その後彼女のしゃべる言葉が何となくたどたどしい日本語だったので、逆にこっちから「日本人ですよね?」と聞き返してしまった。彼女は友達だというモン族の女の子二人を連れて歩いていたが、またまた驚いたことに、その女の子二人とも日本に行ったことがあるらしく、一人は大阪、一人は東京に行ったことがあるという。本当にそれほどの現金収入があるということだろうか。これにはかなり驚かされた。

病み上がりのせいか、ターバンに着いた頃には、かなり疲れていたので、少し集落の様子を見てすぐに帰途についた。結局、ラオチャイのモン族とターバンのダイ族の住居は何が違っていたのだろうか。そう言えば入り口まわりや軒の深さ、妻面の処理の仕方など少し違っていたような気もするかなというぐらいだった。やはり、これだけ距離が近いと、住居の様式も似てくるのだろうか?それにしては、民族衣装に関しては、それぞれ独自のものを受け継いでいるのは興味深いことだと思う。

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