ホーム>旅行記>03.中国後編(アジア旅行2001-2002)
大理から麗江まではバスで向かう。同室のO君が菊屋まで見送ってくれた。菊屋に着くとK君はすでに来ていた。僕はてっきり菊屋までバスのピックアップがあるのかと思っていたら、そうではなくて、菊屋のお姉さんが近くのバスターミナルまで連れて行ってくれるだけだった。
ルートは違うが、10月中頃にパキスタンのフンザを目指すというO君に、「また、どこかで!」と別れのあいさつをし、麗江行きのバスに乗り込んだ。
バスはまたアルハイ湖沿いの道を北上し麗江を目指す。
バスはとても高速道路を走っているようには思えなかったが、運転手によるとこの道が高速道路らしい、と日本語の上手な中国人のおばちゃんが教えてくれた。
道中には納西族と思われる集落が点在していて、なかなか風光明媚なルートだった。
麗江に到着したのは分かったが、ここがいったい麗江のどこなのかさっぱり分からない僕たちをさっきのおばちゃんが助けてくれた。バスは終点のバスターミナルまで行ってしまうとオールドタウンからは遠くなってしまうので、ここで降りましょうと教えてくれ、途中まで送ってくれた。
おばちゃんは麗江に常宿があるらしかったが、僕たちは四方街周辺で宿を探したかったので、そこから先は自分たちで探すことにした。
四方街を探してさまよっている僕たちを今度は日本語ぺらぺらのオーストラリア人が助けてくれた。
「大丈夫ですか?」と聞いてくる彼に四方街の場所とついでに今日の目的の宿である古城青年旅館の場所まで教えてもらった。
しかし、古城青年旅館は2つあるらしく、僕たちの目指すのはもう一つの方らしい。その宿のスタッフのお姉さんにもう一つの方まで案内してもらい、意外に広い麗江の街を重いバックパックを背負ってついて行った。
来る前の勝手な想像では、麗江は大理よりもこじんまりしていて、静かな、落ち着いた町だと思っていたのだが、ところがどっこい、大理よりも広くて、中心のツーリストエリアは旅行者でごったがえし、お土産屋さんとレストランが建ち並ぶ、何とも落ち着かない町だった。
宿には日本人がとても多く、中庭はほとんど日本人の独占状態で、日本人宿のような雰囲気があった。クチコミで広がったようなので、日本人が多いのだろう。まだガイドブックには載っていない新しい宿だ。
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麗江の町並み
麗江は今までに訪れたどの町よりも観光地然としている町だった。
町中いたるところに観光客がひしめき合っていて、落ち着くところがないといった感じだ。オールドタウンから一歩外に出ると、そこはもう近代的な普通の中国の町であった。立派な観光地に仕立てあげようとしているのがあまりにも見え見えで、最初の期待が大きかったので正直なところ少しがっかりしてしまった。
それでも町並みはやはり美しく、在りし日の麗江の姿を想像しながら町をぶらぶらとさまよい歩いていた。
大理と違って、麗江は街路が細く迷路のように入り組んでいるので、麗江の方向感覚をつかむまでずいぶんと時間がかかってしまった。
あまりにも土産屋が多いので、町並みを見る前についつい土産屋の方に目がいってしまう。ここ麗江では納西族独自の象形文字であるトンバ文字の印鑑を作ることが出来るので、またここでも印鑑を作ってやろうかといろいろなハンコ屋を物色して歩いた。
歩いていると、突然大雨が降ってきたので、「風の谷 ラピュタ」というけったいな名前のカフェに逃げ込むことにした。このカフェの存在は、大理のO君に教えてもらって知っていた。そこでコーヒーだけ頼んで雨がやむまで雨宿りした。どこかで見たことがあるような日本人の男の人がいたので挨拶だけしておいたが、そのときは結局どこで見たのか思い出せなかった。(後で分かったことだが、この人は景洪で同じ部屋に泊まったギターボーイ4人組のうちの一人Mさんだった。)
水路際にお土産屋が建ち並ぶ
一面の瓦屋根
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旅の途中、フィルムはたまる一方なので、時々大きな町に滞在するときにまとめて現像に出すことにしている。
やる気のなさそうな兄ちゃんが一人で店番をしているようなところは出来れば避けたいので、出来るだけ雰囲気の良さそうな店を選んで、そこで現像してもらうことにした。
今回は11本のフィルムを現像に出す。我ながらあきれた多さだと思った。
フィルムを現像に出した後、宿の近くの路地裏をスケッチ場所に選んでスケッチをしていると、いくらもスケッチをしないうちに雲行きが怪しくなり、遠くの方から雷鳴が聞こえてくる。
なんだなんだと思っているうちに今日もまた大雨が降り出した。今日の雨は半端ではなく、途中から大粒の雹の混じる大雨となり、スケッチをしている路地裏の坂道はみるみるうちに増水し、道がまるで川のようになってしまった。
決して誇張しているわけではなく、本当に川の激流のようになってしまったのだ。
これではスケッチどころではないので、雨が小降りになったところでスケッチをやめ、今日もラピュタカフェに向かった。ついでにできあがった写真を取ってきてカフェで見ることにした。O君おすすめのアップルパイを頼んでみたが、アップルパイは今日も品切れということで、チョコブラウニーとかいう、これまで食べたこともないようなデザートを頼んだ。
甘ったるいチョコブラウニーを食べなが、写真を見たり、今後の計画をねったりした。
西安に行きたいのが結構ネックになっていて、それがなければ雲南省からラサを目指すことも可能なのだが、しかしどうしても西安近郊のヤオトンは見てみたいので外すわけにはいかない。
いろいろ頭を悩ませながらも、一ヶ月先や二ヶ月先の予定など、この風まかせの旅で立てられるわけもなく、今日もガイドブックを眺めながら無益な時間を過ごすのであった。そもそも、当初立てた予定通り行っていれば、今頃は中国からパキスタンのフンザを抜け、パキスタンからインドに入国しインドを一周してからパキスタンに再入国しているはずだったのである。これほどいい加減な予定もあるまい。
しかし、このようにガイドブックや地図などを眺めながらあれこれと旅の計画などを夢想するのもまたとても楽しい旅の時間の一つではあった。
今年は、チベット解放50周年にあたるらしく、政治的な理由からヤミでラサに入るのはなかなか難しいらしい。時間の限られる僕にとってはやはりゴルムドルートが一番確実なようだ。
ヤミで行くか正規で行くかはゴルムドについてからということになりそうだ。
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麗江最後の夜、夕食から帰ってくるとK君が中庭のテーブルに座って日本人の男の人としゃべっていたので、僕もそこに加わった。彼は上海に留学中らしく、彼もまた夏休みを利用して旅行しているらしい。
ひまわりの種をつまみにビールを飲みながら今日もまた夜中まで中庭で過ごした。
K君は昼間にその留学生の彼にホットメールのやり方を教えてもらったらしく、「めっちゃ簡単ですやん!!」とまた奇声を発しながらEメールアドレスを僕に教えてくれた。
彼はこれから僕の進めた貴州省ルートを通って桂林を目指すという。ちょうどもうすぐ貴州省では、ミャオ族のお祭りがあるらしくタイミングもばっちりだ。
彼の旅の平安を祈った。