ホーム>旅行記>03.中国後編(アジア旅行2001-2002)
中旬に向かう前に、郵便局で壊れたカメラや本、写真などを日本に送ったので荷物は大分軽くなり、バンコクで購入した貧弱なバックパックでも何とか使用に耐えられるようにはなった。
バスターミナルの近くで昼食をすませ、バスに乗り込んで出発の時を待った。さすがにこのルートはポピュラーなルートらしく、旅行者の姿もちらほらと見かける。麗江から中旬までは、それほど遠くはなく、4〜5時間程度で到着する。
道中、チベット族自治州に入った辺りからか、突然集落の様子がチベットらしくなったときは感動した。
「おお、チベット!!」と、思わず心の中で叫んでいた。
これが生まれて初めてのチベット文化圏との接触である。途中、何度もバスを止めて欲しいと思うようなチベット式の住居と雄大な草原が見られ、中旬に到着するまでその風景は続いた。
中旬自体は、普通の中国の地方の町とほとんど同じようなつくりの町であった。
バスターミナルに到着し、そこから3路バスに乗り、ミルクリバーゲストハウスというMさんおすすめの宿を目指す。寺へ向かう途中の山が目印という何ともアバウトな指示だったが、山が見え、チベット式の民家が数軒建ち並ぶあたりでバスを降りた。
町の中心からかなり走ってきて少々不安ではあったが、そこらにいた子供たちに、このあたりに寝るところはあるかと、ジェスチャーまじりで尋ねると、あそこだと教えてくれたのが、そのミルクリバーゲストハウスであった。
ミルクリバーゲストハウスは、チベット式の民家で中に入っていくと麗江でおなじみのメンツがそこに揃っていた。
部屋を割り当ててもらい、外に出て家の裏手にまわってみると、広々とした麦畑が一面に広がっていて、何とも気持ちがよかった。町の中心からは離れるが、町の中心に泊まったのでは味わえないすがすがしさだ。
中旬は標高3,200メートルの高地にある。
これだけ高度が高いと早歩きしただけでも結構しんどいのだが、夕暮れ時の麦畑など美しい風景を見ると興奮してしまい、ついその高度を忘れて走ってしまう。
夕暮れ時の麦畑
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中旬にはソンツェンリン(松賛林寺)というチベット仏教ゲルク派のゴンパがある。
ゲストハウスのみんなでゴンパに行こうということになり、彼らと行動を共にすることにした。僕は、すぐにでもゴンパに行きたかったが、彼らは非常に行動が遅く、結局ゴンパに出かけたのは昼の1時半頃であった。しかし、そのおかげで昼前にバター茶とツァンパとマントウをごちそうになることが出来た。バター茶とツァンパは非常に悪名が高かったので少々心配であったが、悪くない味だった。ごちそうになった後は、Mさんのギターで歌を歌ったりして、いっこうに出かける様子もなかったので、僕は宿の屋根に上り隣のチベット式の民家をスケッチしていた。
宿に泊まっているのは総勢5名、すべて日本人だ。うち二人は中国に留学中、一人は元中国留学生、あとはMさんと僕だ。三人はもちろんMさんもぼちぼち中国語が出来るようなので、一番中国語が出来ないのは僕で、少々所在ない思いをしてしまう。
ゴンパは宿から歩いてほど近いところにあり、宿の前の山の向こうに位置するらしい。この山をぐるっとまわったところで、目の前に堂々たるゴンパが見え、またまたここでも感動してしまった。チベットの建築はとにかく格好がいいのである。
ソンツェンリン(松賛林寺)
丘の上にゴンパとそれを取り囲むように無数の僧院などが配置されている。ゴンパは、住居のような屋根はかけずに、すべて平屋根のように見えるが、ここでは屋根をかけていないように見せかけているだけであった。
実際には、住居とは逆にV字型に屋根をかけて、真ん中に樋を設けてそこで雨水の処理をしているようであった。
何故こんなことをするのだろうか?
住居と僧院の機能の違いを建築様式の違いで表現したとも考えられる。
面白い共通点もあって、住居の塀の上端部分と僧院のパラペットが同じ造りで、さらにそれを上手く使ってデザインにしてしまったのがゴンパであった。
僧院の屋上
ゴンパの入り口
中旬は標高が3,200メートルもあるので、ゴンパの坂道や階段を上るだけでも結構疲れてしまった。階段を上りきったら感動のゴンパとのご対面である。
ゴンパの中は暗く、バター茶くさかった。はじめは僧侶たちがゴンパの中でバター茶を飲みまくるから、そのようなにおいになるのかと思っていたが、ガイドブックを後で読んでみると、ゴンパの明かりは信者がつぎ足すバターのおかげで燃え続けているという。
とすれば、ゴンパの中のあのバター茶らしきにおいは、このバター灯が主な原因かもしれない。
ゴンパの内側の壁は、一面壁画で埋め尽くされていて、おどろおどろしい顔をした仏様なのか何なのかよく分からない絵がぎっしりと描かれていた。
ゴンパの裏の丘にタルチョらしきものがあったので、それを目標に裏の丘に登ってみた。丘の上は何とも気持ちの良い草原の丘だった。天気が良ければ一日ここでぼーっとのんびりしていてもいいなあと思うような場所だった。
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中旬の町にあるTIBETAN CAFEというカフェには、情報ノートがあるということで、中旬から成都へ抜けるルートで何かいい情報はないか調べるために、そのカフェに行ってみた。
5元だして美味しくもないコーヒーだけを頼み、情報ノートを読んでみるが特にこれといった情報は載っていなかった。
Mさんが言っていたとおり、このカフェの一番古い情報ノートの一番最初のページにYさん(景洪ギター野郎のリーダー格)の「朋友」の日本語訳の2年前の書き込みを見ることができた。2年前といっても、まだ旅は続いているわけだから不思議な感じである。今頃Yさんはどこにいるのだろう?
カフェで情報ノートを読んでいるうちに雨が降ってきてしまったが、このままカフェでうだうだするのも嫌だったので、雨の中、ナパハイへ向かって歩き出した。
町の北端まではバスを使い、そこからは歩いた。
ゆるやかな坂道をしばらく歩き、小さな峠を越すと右手に盆地状になった湿原が見える。その湿原を眺めながら坂を下って行くと、湿原の向こうに2つの丘に挟まれるようにしてゴンパと村が見えた。
まさかこの道を歩いていてゴンパが見えるとは思ってもみなかったのでびっくりしたと同時に、その風景の美しさに感動した。
湿原から見たゴンパ
湿原とゴンパの間の草原では牛が放牧されており、何とものどかな風景であった。
中旬の民家と牛の風景
よく見てみると、こちらからゴンパ方面へ抜ける道が2本ほどありそうなので、帰りはそっちの道を試してみようと思う。
更にその道を下って行き、平地になってしばらくすると左手の方にぽつんと小高い丘が見えてくる。
ガイドブックによると、どうやらその丘に登るとナパハイの全景が見えるらしい。僕の歩いている道はバス道なので、僕の横をひっきりなしにナパハイ行きのバスが通り過ぎていく。
しかし、その丘に登ろうとする人はだれもいなくて、みな草原方面に行ってしまう。
この丘は観光地には組み込まれていないらしく、道らしい道はなく、途中、菜の花や大麦の畑をかきわけ、小さな棚を乗り越えながら頂上を目指すことになる。
しかし、この丘もまた当たりであった。丘の斜面には菜の花、大麦をはじめ色とりどりの花が咲いており、特に頂上付近には猫じゃらしのような花が一面に生えており、うす紫色の穂先が風にそよいでいた。
頂上にはチベットらしく石が積まれている。
近くに転がっている石に腰掛け、草原やナパハイを眺めるのはとても気持ちよかった。宿で誰かが吹いていたオカリナに触発され、僕も縦笛を持ってきてみた。ぼくの上手下手以前に、どうしようもない音しか出なかったが、丘の上の気持ちよい風に吹かれながら、気の済むまで笛を吹いた。
帰りは丘の近くの村の中を通って、2つの村を通過しゴンパ方面に抜けることが出来た。
ゴンパからは3路のバスを使って町まで出て、明日の郷城行きのバスのチケットを買い、夕食を食べた。
帰りは9時頃になったので、バスはなく歩いて帰ったが、今日巡り会うことのできたすばらしい景色のおかげで、疲れ果ててはいたが足取りは軽かった。
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ゲストハウス最後の夜に、新しく3人の客が来たので僕はすでに日本人の人が一人入っている2人部屋に入ることになった。
相部屋となったTさんは、一度大理で少しだけお会いしたことがある人だったが、会ったというよりもTさんが撮った写真を見せてもらっただけだった。
彼の撮った写真はプロみたいに上手く、みんなで感心していたのだが、実はやはりプロだったようだ。
彼は僕がスケッチしているのを知っていて、彼に僕のスケッチを、彼の写真を僕が見せてもらった。彼ほど写真の上手い人にスケッチをほめられるとやはりうれしいものだ。
彼は今25歳で、写真関係の仕事をしているが、めったに仕事はこないらしく、アルバイトをしながら食いつないでいるらしい。
アフリカが彼の写真の原点らしく、またアフリカに行って原点に戻ってみたいと言っていた。
彼のように自分の夢を追って頑張っている人を見るとうれしいと同時に、こちらまで元気づけられる。
またどこかで再会出来ればと思う。