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旅行記

アジア旅行 2001-2002
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03.中国後編

5.四川省チベット(理塘1) <2001年8月12日〜8月14日:郷城→理塘>

郷城

中旬から郷城へは、今回一番の峠(四千数百メートル)越えが待っている。高山病のことを少し心配したが、峠越えはなんでもなく、それよりもその風景のすばらしさに感動しきっていた。

四千メートル級の山々のダイナミックな風景の中に溶け込むように集落が点在していた・中旬のものとはまた違った住居で、同じチベット族で距離もそれほど離れていないのに、これほどまでに雰囲気が変わるものかと驚かされる。

中旬の住居は屋根かかっていたが、この辺りの住居はみな陸屋根だ。壁は白く、それが密集して建っている様子は、まるでギリシャの白い住居群を思い出させた。(まだ行ったことはないが)
目もくらむような急な斜面に集落があるかと思えば、そのはるか麓の狭い谷間にも集落があり、谷の底面のわずかな平地を耕して、集落のまわりに田畑を作っている様子が見られた。

郷城で見られる住居も、この峠周辺で見られた住居と同じだった。郷城は小さな町で、中心部はごく普通の中国の町のようだが、少しはずれに歩いていくとチベット人の集落が点在しているのが見られる。

バスターミナルの近くの汚い宿にチェックインし、さっそく町歩きに出かける。
とりあえず、町のはずれに向かって歩き、チベット人の集落を見に行く。町のはずれに出ると視界が広がり、歩いてきたのと反対の方向にとても雰囲気の良さそうな集落が見える。
あわてて来た道を引き返し、町の反対側のはずれを目指す。

この集落には、住居の他に何やら塔らしきものがぽつぽつと建てられている。まるでナウシカにでも出てきそうな、絵に描いたような風景だったので、スケッチをすることにした。
夕方から描き始めたので、日没ぎりぎりになんとか下書きだけはすますことが出来た。

郷城周辺の集落 郷城周辺の集落

理塘

今日も朝早くにバスターミナルに向かう。
郷城は、理塘への乗り継ぎぐらいにしか考えていなかったので、一泊しかしなかったが、後から考えるともう少し滞在してもよかったかもしれない。

バスはどうやら昨日と同じバスのようだ。見覚えのある運転手の顔が見られる。彼はこの先どこまで行くのだろうか。

昨日ほどではないにしても、この道中もなかなかよい風景だった。ころころと変わる山の様子も面白かったが、見かける住居もまた変わった。
ここら辺りでは、石がごろごろしていたので、住居も石を積んで造ったものに変わってきた。風土が住居を造る要因の一つであることの一例であるのだろう。

理塘に近づくにつれて、山の様子が草原になってきた。12時を過ぎ、いつになったら昼食タイムになるのだろうと思っているうちに、広い平原に出たと思ったら、それが理塘だった。予想していたよりも随分と早い到着だった。

理塘周辺の草原 理塘周辺の草原

宿はシャワーのある宿にしようと思ったが、理塘で唯一シャワーがある宿は立派な看板が立てられていて、どう考えても高そうだったので、他の宿を探すことにした。結局中国には珍しくゲストハウスなどと横文字表記のある宿にふらふらと吸い寄せられてしまう。
ドミで同室の中国人は、もう昼の3時だというのに布団の中で寝ていた。何だろうこの人は?

部屋に荷物を置いて町に出てみる。
昼飯がまだだったので、適当なところを選んで入ってみると、中はチベット人でにぎわっていた。おそろしくたくましい顔つきの2人組のチベット人に相席させてもらい、ショーロンポーを頼んだ。
ここ理塘のチベット人はカムパと呼ばれているようで、動物の皮で作ったような上着を腰に巻き、頭にはカウボーイハットをかぶっている、いかにも馬の似合いそうな人々だった。
そんなカムパの人々を理塘では多数見かけることが出来る。馬に乗った6、7人の団体のカムパがメインストリートを闊歩する、そんな嘘みたいな風景が日常に見られるのが理塘だった。

***

バスの道中の天気は最悪だったが、理塘についてからは、幸い晴れ間がのぞくようになってきた。
理塘では、ゴンパより、集落より、何よりも先に丘に登ってみたかった。丘の上から理塘の町とその向こうに広がる大草原を見てみたかった。

ゴンパの手前のオポからの眺めがよいらしいので、そこを目指してゆるい坂道を登っていく。
ゆるいとはいえ、ここ理塘の標高は3,900m以上あるため、結構きつい。途中チベット人の集落を通り過ぎるが、雰囲気が良さそうで、理塘の滞在は期待が持てそうである。

チベット人の集落 チベット人の集落

丘に登って見渡すと、この大草原のなかにあって、いかに理塘が小さな町であることかと思った。
四方を山や丘に囲まれた盆地状になっているが、これほどの大草原が、よく考えると富士山よりも高いところに位置していることがとても不思議な感じだった。そんなことを忘れてしまうほど、おおらかでのどかな風景であった。
また、丘の上から見ると、理塘の町が、チベット人の集落に取り囲まれるようにしてつくられているのがよく分かった。

丘をのぼる 丘をのぼる

丘の上からの眺め 丘の上からの眺め

オポの前で、そこからの風景をメモ帳にスケッチしていると、一人のチベット人の男性が近づいてきた。
明らかに僕を目指して歩いてきて、おもむろに「ニーハオ」と挨拶をしてきた。こっちも負けずに「タシデレ」とチベット式の挨拶を交わす。
彼の名前はンナガといって、このすぐ近くに住んでいるらしい。

僕の場合、スケッチをきっかけに現地の人と仲良くなることが多いが、今回もまたそんな感じで彼と仲良くなり、彼の家に招待してもらった。

***

彼の家は、この辺りの他の住宅とまったく同じチベット式の家であった。
理塘初日にしてチベット人の家を訪問できたうれしさを押さえながら、きょろきょろと家の中の様子を見て回った。
突然の珍客にもかかわらず、彼のお母さんと奥さんは、笑って僕を迎えてくれた。彼には、かわいい子供もいるようだ。彼は僕よりも完全に年上だと思っていたら、まだ二十歳だと聞いてびっくりした。

屋根の上に上がらせてもらったが、屋根の上は土をかぶせてあって、意外にふかふかと柔らかいのに驚いた。
屋根の上からは、ゴンパや理塘の町、その向こうの大草原が見渡せた。

下に降りて、居間のような部屋で、モモと呼ばれるねじまきパンとお茶をごちそうになった。その後もツァンパとバター茶をいただき、さらに晩飯までいただいてしまった。

彼らは、中国語、チベット語をしゃべることができるが、読み書きがあまり出来ないようで、なかなかコミュニケーションをとるのは難しかったが、お互いに言葉を教え合ったりして、とても楽しいひとときを過ごすことが出来た。

結局、この日は宿にチェックインし、荷物を置いたままだったが、彼の家に泊めてもらうことにした。
その居間のような部屋で、彼と頭を突き合わせる形で眠りについた。
ちなみに、彼の家にはトイレはなく、小便も大便も、家の隣の路地にするようであった。

***

現地の人の朝は早い。
朝、6時前から家の中はなにやらごそごそと用事をする音が聞こえてくる。
しばらくすると部屋の明かりを点けられ、もう寝ていられなくなり起きることにする。
まだ朝日が昇る前で、空が明るくなり始めたところだ。朝日を見ようと屋上に上らせてもらう。
もう、かなり明るくなってきていたが、朝日そのものはまだ見えない。
周囲の山が高いせいか、まだまだ朝日が顔を見せる様子はなく、その上朝はまた、とても寒かったので、朝日を見る前に下に降りてしまった。

下に降りると、奥さんがドォンモ(バター茶をつくる筒)を使ってバター茶をつくっていた。朝食は予想通りバター茶とツァンパだった。
地方によって少々食べ方が異なるのか、中旬では、最初からツァンパをバター茶で練って団子状にして食べたが、ここではツァンパに少量のバター茶を入れただけで、その湯飲みに舌をつっこんで猫のように食べるやり方だった。
バター茶が少なくなると、またバター茶をつぎ足す。ツァンパはとにかくきな粉のようなものなので、この食べ方だと、のどに粉が詰まってすぐに咳き込んでしまう。
湯飲みも最後は舌できれいにしてからお茶を入れてもらう。日本ではとても下品なこの食べ方も、チベットでは普通のようだ。

朝食をいただいてから、彼と出会った丘に行き、しばらくそこにたたずんだ後、彼に別れを言って僕は待ちに降りた。
理塘はとても居心地がいい上に、最初からとてもいい出会いがあったよかった。

この丘で出会ったンナガ この丘で出会ったンナガ

宿の人に無断で外泊したので、よもや公安に通報などされてはいまいかと思ったが、この宿は外国人が多いようなので、無断外泊ぐらいでは通報されないようである。

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