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ホーム旅行記>後編 ギャロン・チベット族(中国旅行2003-2004)

中国旅行 2003-2004

後編 ギャロン・チベット族 <2003年12月31日〜1月4日:馬爾康(マルカム)→成都>

<馬爾康(マルカム)>成都

今朝も例によって学生たちの賑やかなおしゃべりの声で目が覚めた。  今日は馬爾康(マルカム)へ向かう予定だ。マルカム行きのバスは朝10時頃だというので、それまで朝食を食べ、 中庭をラフスケッチして過ごそうかと思っていた。中庭に面した自分の部屋をスケッチしているところに、学生の一人がやって来て、 一緒に面白い家を見に行かないかと誘ってくれた。彼女は騒がしい学生たちの中にあって、一番落ち着いた感じの、 どことなく先生のような雰囲気のある人だった。宿の人が10時に僕をバス道まで連れていってくれると言っていたので、 もうあまり時間は残されていなかったのが気になったが、どうしても僕をその家に案内したい様子だったので、 宿の人に一声かけて10時までにもどると約束し宿を出た。

彼女がまず最初に連れていってくれたのは水車小屋だった。水車小屋は水路をまたぐように建てられていて、 水車が水平に設置されている。ここではその水車はひき臼に連動するようになっている。 面白かったのは入口の脇についている郵便受けのようなもので、僕はてっきりそれは郵便受けそのものだと思っていた。 しかし、彼女がその水車小屋の持ち主を呼んでくれて、水車小屋の中を見せてもらうように交渉した後に、 なにやらしゃもじの様なものをその穴に突っ込んでごそごそとやって扉を開けてくれた。そう、その穴は何と入口の鍵穴だったのだ。 あまり時間が無かったので、一体どういう構造になっているのか詳しく見ることが出来なかったのが残念であった。

桃坪の水車小屋 桃坪の水車小屋

急ぎ足で水車小屋を後にし、次に向かったのは、桃坪の中に張り巡らされた水路の起点となっている家であった。 他の学生たちもこの住居の見学にやって来ており、みんなで家のおじいさんの説明を聞いていた。 桃坪村の住居の下には必ずどこの家でも水路が流れているという。案内された家はその水路の起点となっている 。この家は桃坪村の中でも歴史のある家の様で、村で一番ふいという囲炉裏もあった。さらに訓話のスペースもあり、 そこは3層吹き抜けの空間で、3層のバルコニーが設けられていた。バルコニーには階層があるそうで、上は「長輩」、 下は「暁輩」のためのスペースだいう。中に入っただけで歴史の古さがはっきりと感じ取れる住居だった。 長い年月に渡りこの家を支えてきた柱はすすで真っ黒に染まり、同じくこの住居の中で長年積み重ねられた深い闇の中に同化していた。 駆け足でこの家の中をいろいろと案内してもらい、彼女からいろいろ説明を受けた。大学生だけあって、 たどたどしいながらも少し英語が出来たので非常に助かった。おそらく、中国の古い民家に興味があるのに、 まともに中国語も話せず、ただ村の中をぶらぶら歩きまわったり、スケッチをしたりしている僕を不憫に思ってガイドの役を 買って出てくれたのだろう。この家を後にするとき、おじいさんに見物料を払うことになるのだが、僕が彼女の分と2人分 払おうと思ったのだが、さっと彼女が僕の分を払ってしまい、僕が彼女にお金を払おうとしてもどうしても受け取ってくれなかった。 ガイドまでしてくれて、本当は見物料に上乗せして支払ってもいいぐらいなのに。学生たちの親切が身にしみた。騒々しかったが、 少し馴れるとほんの少しだが、彼らの素顔を垣間見ることが出来て良かった。関わり合いを持たなければ、単なる「騒がしい中国人」 で終わっていただろうから。

10時45分にようやくマルカム行きのバスがやって来た。寒い所に住んでいても、寒いものは寒いらしくて、 一緒にバスの到着を待ってくれていた宿のお姉さんも寒さに震えながらバスを待ってくれていた。 出発の時になってようやく谷間に朝陽が差し込んできた。今日もいい天気である。マルカムにはおそらく夕方頃に到着するだろうから、 今日は移動日になりそうだ。

それにしても険しい谷である。まるで壁のように絶壁が立ちはだかり、急峻な斜面にはチャン族の集落がへばりつくように点在している。 まさに期待していた風景がそこにはあった。しかしこんな険しい谷間でも、少し開けたところがあると発電所などが建設されていて、 中国の開発力のすごさを感じさせられる。

進むにつれて、日の光の届かないところには雪がちらほらと残っているのが見られるようになってきた。 11:35に理県を通過。程なくして森林地帯に入った。標高は約1800m。道路や周辺に残る雪はだんだん多くなり、 影の部分では見たところ道路は完全に凍結状態である。

屋根付のチベット住居 屋根付のチベット住居

しばらく走るとチベット族らしい集落が現れ始めた。チベットの住居によく見られる特徴がいくつもあり、 すぐにそれと分かる。同じ石造りの住居でありながら、見た目は全然違いように見えるのが不思議である。 地理的にはそれほど距離が離れているわけでは無いのに、民族が違うということと、森林地帯であるという違いだけで、 こんなに変わるものなのだろうか。

このあたりの住居の大きな特徴は屋根がかかっていることである。森林地帯があることから、この辺りは木が豊富で、 雨も多いのかもしれない。興味深い住居に出会えて、僕の目は車窓の風景にくぎ付けである。

昼の休憩ではみんな店の前でカップラーメンをすすっていた。天気のいい空の下、外で食べるカップラーメンがなんだか 美味しそうに見えたので、僕もみんなにまじってカップラーメンを食べることにした。周辺にはチベット族の集落がすぐそこにある。 集落の中をぶらぶらと歩いてみたかったがそれだけの時間はなかった。日が射しているので、外で食べてもそれほど寒くはないのがうれしい。

峠周辺の風景 峠周辺の風景

道路が凍結しているところでは時々タイヤを滑らせながらも、順調に(?)バスは進んでいく。 しばらく走ると徐々に高度を上げはじめ、どうやらこれから峠への登りに入るようである。峠への道を登るにつれて、 風景がどんどん雄大になっていく。ヒマラヤらしい、雪をかぶった急峻な峰の連なりがどこまでも広がっている。 峠には2:46に到着、高度約4000m。チベットのタルチョ(祈祷旗)がここにもあった。峠からは一気に下っていく。 峠のあたりには木が生えていないの、これから下っていく道がずっと先の方まで見える。何台かのバスがそれらの道を走っているのが見える。 何と雄大な風景なのだろう!

マルカムの街並み マルカムの街並み

夕方ごろ、バスは無事にマルカムに到着した。マルカムは予想以上の都会だった。雰囲気的には同じ四川省の康定に似ていると思った。 都会だが、そこにいる大多数はチベット人のようだ。マルカムは標高約2700m。ほんの少し呼吸をするのに違和感を感じる。 久しぶりの感覚を感じることが出来て少しうれしかった。

夜12時過ぎ、花火の音で目が覚めた。最初は何事かと思ったが、何発も上がるので、これは新年を祝う花火であることがわかった。 また別の場所では盛大に爆竹が鳴らされている。何もない年越しだと思っていたが、ささやかなイベントが用意されていて少しうれしかった。

朝9時に起床し、出かける準備を始めるが、いつも通りの行動で息が少し苦しくなってしまう。つい忘れがちであるが、 ここは標高2600mである。平地にいるときとは少し訳が違う。朝食は中国にいるときはすっかりおきまりになった、 お粥(稀飯)に漬け物、それに肉まん(包子)2個をいただいた。これだけ食べてわずかに1.5元(約22円)である幸せ。 実に質素で素朴な朝食であるが、自分にとっては中国ではこれ以上の朝食はないと思っている。

今日はギャロンチベット族の集落を訪れる予定にしている。

ギャロンチベット族は四川省西北部の大渡河上流域の峡谷地帯に定住し、農業を営む人々である。 彼らの民族呼称は「嘉絨蔵族」(ギャロン・チベット族)であるが、これはギャロンという自称をもつチベット族の一支であることを意味する。 ギャロン人がチベット族に属するか否かについては、彼ら自身の選択によったとされているが、 彼らの言語や習俗などにはチベットぞくとしての特徴よりも、むしろ東に隣接するチャン族との類似が指摘されている。 ギャロン人はチベット族とチャン族双方の特徴をあわせもつ民族集団であると言えるようだ。

建築的にはギャロンチベット族もチャン族と同じ様な石の塔を村の中に持っていることがあげられる。 高さ20〜50mに達する防御用の石塔で、ギャロン人やチャン族の男性たちはそれを造りあげるための石積みの技術を代々伝えている。

ギャロンチベット族はこのマルカム周辺だけでなく、さらに先に進んだ金川、小金などの各県にも居住しており、 そちらのほうまで足を延ばせばより濃密なギャロンチベットの世界に入ることが出来そうだったが、今回は残念ながらそれほどの時間はない。 「旅行人ノート チベット」には、わずかながら石塔に関する情報が載っている。それによるとマルカムから少し西へ進んだ直波(チュボ) というところに巨大な塔が建ち並んでいるという。バスターミナルでその直波へ向かうバスがあるかどうか聞いてみたが、答えは「没有」 (ない)ということだった。ないわけはないとは思ったが、残念ながら今回はこんなところで押し問答して時間をとっている余裕がないので、 バスターミナル周辺に止まっている乗り合いタクシーの運転手に聞いてみることにした。「旅行人」には塔の写真が載っていなかったので、 「チャン族と四川チベット族」(松岡正子著)に載っているギャロンチベット族の石塔の写真を見せ、「これが見たいのだが、直波にはあるか?」 と聞いてみたところ、「有」(ある)という心強い答えが返ってきた。

聞き込みをしている間に、乗り合いタクシーの運転手達に取り囲まれてしまったが、その中で一番人の良さそうなおっちゃんを選び、 この直波までの往復をチャーターすることにした。往復と向こうでの待ち時間3時間程度を含めて50元(約750円)だった。

直波遠景 直波遠景

マルカムから西は、昨日通ってきた道よりもさらにいい感じの風景が広がっていた。しばらく走ると少しずつ屋根のかかった 住居の数が減ってきた。ということはこの屋根のかかったチベット住居はマルカム周辺特有のものだということなのだろうか。 途中いくつか塔のある集落を通過したが、どうやら直波ではないらしい。暗い谷間を抜け、向こうが明るくなってきたと思ったら、 目の前に堂々とした2つの塔が、丘の上の集落とともにそびえ立っていた。見た瞬間にゾクッとするほど劇的なあらわれ方だった。 と思っていると、左手の方向にもさらに2つの塔が目に飛び込んできた。  どうやらこれが直波らしい。

昨日マルカムに到着したときは、マルカムがあまりにも普通の都会だったので、失敗したかなという思いがあったが、 しかしやはりここまで来て正解だったようである。チャン族の集落とは雰囲気もつくりも違うが、これはこれでものすごい存在感を持っている。

4つの石塔を一望できる 4つの石塔を一望できる

運転手は村への細い坂道を強引に車で登って僕を村の中まで連れていってくれた。「それじゃあ今から3時間」と言うと、 彼は3時間も必要ないという。どうやら彼は僕が写真を撮って見てまわるだけと思っているようだ。そうじゃなくて僕は スケッチもしたいということを、スケッチブックを見せながら説明すると、やっと彼も理解してくれたらしく、 スケッチするならあっちがいいと、さらに車に乗って、全部の塔を一望できる絶好のポイントまで連れていってくれた。

そこから3時間と言うことで、念のためメモ帳に「今10時なので、3時間で1時まで」と書いていると、 驚いたことに運転手の彼は漢字が読めないという。これまで筆談も含めて会話していたので、まさか読めないとは思っていなかった。 そのわりにはちゃんと意志は伝わっていたので別に問題はなかったのだが、まあこんなにいい加減でもなんとかなるものである。 運転手の彼はさすがに3時間もぼけっと待っているつもりはないらしく、一旦町に帰って3時間後に迎えに来ると行って去っていった。

集落内の様子 集落内の様子

塔と牛 塔と牛

さて、早速村の中に入り、少しぶらぶらしながら、まずは村で一番高いところにある塔の所まで行ってみようと思った。 この村はほとんどが平たい陸屋根の家で、いかにもチベットの村らしいたたずまいである。しかし、これもチベットらしくて困ったことだが、 村にはいるとあちこちから犬の吠える声が聞こえてくる。幸いほとんどの犬はちゃんと鎖につながれているようだったが、 やはり不安がよぎってしまう。

ギャロンチベット族の石塔 ギャロンチベット族の石塔

この村の塔は断面が星形をしているので、桃坪の石塔とはやはり違って見える。  「中国羌族建築」(季富政)によるとチャン族の石塔にも村によって形は様々であることが記されているので、 この石塔の形の違いは単にチャン族とギャロンチベット族の民族の違いだけによるものではなさそうである。

この村は小さな村なので、全部見てまわっても、あまり時間はかかりそうになかった。塔は全部で4つあったが、 大きく2つずつに分かれており、一方の2つは今、自分が居る方にあり、もう2つは川を挟んだ向かい側の険しい丘の上にあった。 また、集落空間そのものには、チャン族の桃坪村の様な、複雑に入り組んだ迷路のような空間構成は見られなかった。

村の人達は「なんだこいつは?」という様な目は向けてくるが、それほど排他的な様子ではなかった。 僕がスケッチをしようとスケッチブックを開くと、おばさんや子供達が僕のスケッチブックをのぞき込んできた。 「これはどこの家だ?」と聞いてくるので、「日本の家だ」と言うと、あまり分かっていないような顔でうなずいていた。

スケッチをしている家にも犬がいて、実に2時間近くもずっと犬に吠えられながらスケッチを続けた。 さすがに2時間も同じ姿勢でスケッチを続けていると、犬もこいつは大丈夫だと判断したのか、 ようやく吠えるのをやめておとなしくなってくれた。決して吠えるのに疲れたのではなさそうなのは、他の村人や豚、 牛などが通るたびに、またうるさく吠えたてていたことから分かった。

こぢんまりとしたゴンパ こぢんまりとしたゴンパ

ゴンパの前で佇む人たち ゴンパの前で佇む人たち

スケッチを終え、さらに村の中をぶらぶらと歩いていると、チベット独特の図太い笛の音が聞こえてきた。 笛の音のする方向に行ってみると、果たしてそこにはこぢんまりとした雰囲気の良いゴンパ(チベットの仏教寺)があった。

約束の3時間が過ぎていたので、村の前の道で彼を待っていると、程なくし彼が戻ってきた。わずかな時間ではあったが、 目的を果たすことが出来て、もう今回の旅に未練を残すことはなかった。晴れ晴れとした気持ちでマルカムに戻った。

マルカムに戻って、少し宿で休憩した後、再び町に出た。今度は屋根付きのチベットの住居を見るべく、 マルカムのすぐそこにある、高台の集落に行ってみることにした。しかし、その集落への登り道で、まるで僕のことを食べてやるとばかりに、 ものすごい勢いで激しく吠える巨大な犬がいて、その犬のあまりの迫力にあっさりその集落へいくのを断念してしまった。

さて、どうしようか。 まだ時間はあるので、今日直波へ行った方向に向かって歩いて行ってみることにした。 途中いくつかいい雰囲気の集落があるのを憶えていたからだ。  車で走るとアッという間の距離であっても、歩いてみると結構時間がかかる。標高が高いのであまり調子に乗らないように気をつけて ゆっくり歩くように心がける。ちょうどマルカムの町を外れようかという辺りの川の対岸に、いい感じの集落が見えてきた。 本当はもっと遠くまで行ってみたかったが、時間的にこのあたりの集落が限界だろう。

この集落にもやはり犬はいるようであり、小川を挟んだ向こう側から僕のことを察知したらしき犬の吠え声が聞こえてくる。 よけいなトラブルはごめんなので、今回は無理して集落には近づきすぎずに小川のこちら側から一番手前の家をスケッチすることにした。 屋根付きの立派なチベット族の民家である。

スケッチをはじめると、程なくして2人の人なつっこい子供が僕のまわりにやってきた。2人は僕のスケッチに興味津々である。 スケッチをする僕のそばでじっとスケッチに見入っている。そのうち通りかかったおばさんもまた、とてもフレンドリーで、 私の家はあそこだから後でご飯を食べてきなさいと、スケッチをしていた家の向かい側にある家を指さして言って村に帰っていった。 子供達はスケッチブックの紙が1枚欲しいというので、それぞれ1枚ずつあげると、どこかへ去っていった。

そのままスケッチを続けていると、今度は村から1人のお姉さんがやってきて僕に声をかけてきた。しかも英語で! どうやら彼女は大学で2年間勉強をしたらしく英語がかなり出きる。中国にはどれぐらいいるのかとか、 なぜこの家のスケッチをしているのか、等々いろいろ質問された。英語が上手だがあまりにも早口で7,8割ぐらいしか理解できなかった。 彼女の話を聞いているうちに、何となく見えてきたのは、さっきのおばさんはこの彼女のお母さんで、 多分そのお母さんは娘が教育のある子だから、外国人に対してあれだけ友好的だったということだった。 だから家に僕を呼びたかったのかもしれない。しかし、彼女は自分の英語がそれほど上手だとは思っていないらしく、 そういう状況は自分にとってとてもプレッシャーになると言っていた。お母さんの思いとは裏腹に、 多分彼女は僕に家に来て欲しくないのだろうと思った。

マルカムの子供たち マルカムの子供たち

彼女としゃべっているうちに、さっきの子供2人が帰ってきた。彼女によるとこの子達は新年の休みで5日間だけ帰ってきているという。 大きい方の子はチベットの仏教画を勉強しているという。それでさっきスケッチブックの紙を欲しがったのかもしれない。 頃合いを見て彼女は二人を連れて帰っていった。

そのままスケッチを続けていると、さっきのおばさんがやって来て、袋にいっぱいリンゴを詰めて持ってきてくれた。 思っていたとおり、おばさんはさっきのお姉さんのお母さんで、僕をご飯に呼ぶことはやめになったのだろう。 それでもこうやってリンゴを持ってきてくれる心遣いがうれしかった。中には彼女からの手紙が入っていた。 思いがけないところでこんな出会いもあるものだ。リンゴをぶら下げ、そろそろ寒くなってきたので、腰を上げ、町に戻ることにした。

今日はマルカムを出発し、成都に戻るべく朝6時に起床。成都行きのバスは朝7時発。バスターミナルに行くと、 ちょうど6:30発の成都行きのバスが出発するところだった。朝食のパンを買い込み、7時発のバスに乗り込むと、 7時ちょうどにバスは出発した。外はまだ真っ暗である。

しばらく走り続けるうちに段々と明るくなりはじめた。恐ろしいことに、行きと同じく帰りも道路に雪が積もっている。 それでもバスは雪道をガンガンに飛ばしていく。峠に向かって徐々に高度を上げていくが、峠のこちら側にはまだ日が射さず 道路は凍結したままだ。高度を上げて行くに連れて、僕の恐怖心も高まっていく。なるべく風景がよく見えるように、 右側に席を取ったため、すぐ下に断崖絶壁が見えるのだった。ガードレールもないため、大型トラック等とすれ違うたびにひやっとする。 中国のバスはよく落ちるという噂がこんな時に頭をよぎる。

朝9:30頃にようやく峠に到着。絵に描いたように峠の向こうから太陽の光が射しているのが見える。 「ああ、もうすぐだ。峠を越えたらきっと道路の雪も溶けているだろう。」などと思っていたが、そうは問屋がおろさなかった。 峠を越えると同時に、まばゆいばかりの太陽の光が降り注いできた。まるで暗いトンネルから日の光の中に出たときのように、 一瞬前が真っ白で何も見えなくなった。そして目がなれると、目の前の道路にも、無情にも一面雪が降り積もっている風景が目に飛び込んできた。

峠付近は白銀の世界 峠付近は白銀の世界

太陽の光をうけてキラキラと白く光る道路はこれまでの道路よりも恐ろしく見えた。 細かい氷片が宙を舞い、それが日の光を浴びてキラキラと輝いている。木の枝という枝には氷がはりついて樹氷となり、 それもまた太陽の光を浴びてまばゆいばかりに光り輝いている。険しい山脈はことごとく雪を頂き、まさに白銀の世界と言うにふさわしい、 夢のように美しい風景が広がっていたのだが、同時に夢であって欲しいほどに恐ろしい風景でもあった。

さすがにバスの運転手もそこそこ慎重に下っていく。こういう場合、登りよりも下りのほうがよっぽど恐ろしく感じられる。

それにしても峠付近はまさに絶景と呼ぶにふさわしい、雄大な風景である。 この風景の写真を撮るために右側に席をとったようなものであった。しかし、なんとしたことか、 いざ写真を撮ろうと思い窓を開けようとすると、肝心のところでバスの窓が凍結してしまって開かないではないか。 これでは一体何のために、早めにバスに乗り込んで席をキープしたのか分からない。 悔しさに指をくわえて車窓の風景を眺めていると、日の光で多少温まったのか、ようやく窓が開いて写真を撮ることが出来た。

途中、雪のために身動きがとれなくなってしまったトラックのために、少し足止めをくらったが、それ以外は何事もなく、 無事に下界まで下りることができた。ミャロあたりでようやく道路の雪が溶けはじめた頃には、心底ほっとした。 行きと同じ道なので、帰りはあまり面白くはない。バスの運転手はすばらしく飛ばしてくれて、 夕方5時過ぎには成都の茶店子バスターミナルに到着した。再び交通飯店に部屋をとり、気疲れのする移動日がようやく終わった。

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馬爾康(マルカム)<成都>

昨日までのマルカムで、今回の旅は終わったも同然だった。 後は今夜の飛行機で広州に戻り、明日の朝の飛行機で東京に戻るだけだ。東京に戻ると次の日から早速仕事が待っていると思うとうんざりする。 そろそろ頭を帰るモードに切り替えはじめておく必要があった。

夜の飛行機までの時間、宿に荷物を預けて、成都の街をのんびりぶらぶらと歩きまわろうと思った。 交通飯店の対岸のエリアにあるちょっと雰囲気のよさそうなところで遅めの朝食をとった。 中国の朝食としてはずいぶん遅い時間だったので、包子(肉まん)は残りわずかだった。いつも通り包子2個とお粥を頼んだ。 ここの包子は具がたくさん入っていて、しかも具に味がしっかりついていてとても美味しかった。あまりにも美味しかったので、 包子をもう一つ追加した。これがラストの1個だった。多分これが中国で食べるまともな最後の朝食だと思うとちょっと寂しかった。 これだけ食べてわずかに1.5元。最後の1個の包子の分の勘定が入っていなかったが、サービスだったのか、忘れていたのか。

昔ながらの街路 昔ながらの街路

成都の中心にある天府広場の北西辺りの方向に、成都の中でも古い町並みを残す一角があるというので行ってみることにした。 この辺りは話によるともうすぐ取り壊されてしまうというので、今のうちに見ておかないと、 今度また訪れたとしてももう見れなくなってしまっているかもしれない。

行ってみると確かにいかにも中国らしい、雰囲気のある昔ながらの街路がそこにはあった。 都会的な成都の街なかにあって、まるでそこだけタイムスリップしたかのようだ。街路には椅子やテーブル、 調理道具などがはみ出し、そこではおばあちゃん達がじっと街路を眺めながら座っていたり、おやじたちが麻雀をしていたり、 散髪をしていたりする。なんとも懐かしいにおいのする場所であった。ここには古い町並みの雰囲気を活かした、 とても居心地の良さそうなゲストハウスがあるが、もしもっと前にここを知っていたら間違いなくこのゲストハウスに泊まっていたはずである。

椅子を出してくつろぐ老人達 椅子を出してくつろぐ老人達

同じくこの町並みの一角にある、これも雰囲気の良いおみやげ屋さんで、何と僕がずっと探していたチャン族の研究本 「中国羌族建築」(季富政)を見つけてしまった。かなり値段の高いものだったが、今までこの本を求めて、 成都中の本屋を歩いてまわっていたのだ。やはり買うことにした。

最後の最後に、思いがけないところで探し物に出会えるというおまけもついて、無事旅を終えることが出来た。 短いながらも充実した納得の行く旅であったと思う。今回もまたひとつ、中国の素朴でありながら、 長い時間をかけて培われた美しい庶民の風景に出会えてよかった。

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